特攻とは何か、成長に必要な痛みとは。呉・大和ミュージアムで思うこと。

DSC_1177

Perfume 5th tour ぐるんぐるん広島公演のもうひとつ目的、それは呉に行くこと。呉といえば戦艦大和のふるさとであり、大和ミュージアムがあります。

特攻作戦

DSC_1242

DSC_1203

回天試作機

DSC_1209

零戦62型。特攻作戦で使われた250kg爆弾を搭載可能に。

大和とこれらの共通項は、特攻作戦に使われた兵器、ということです。大和ミュージアムのもう一つの顔は、特攻について。

多くは語られていませんが、これらの実機と、実際に特攻作戦で散った人が綴った遺書が暗喩しています。特攻基地となった鹿児島の知覧飛行場と合わせてみると、意味合いが浮き彫りになってくるので、ぜひ知覧にも行って欲しいです。

知覧特攻平和会館 - [の] のまのしわざ

ところで昨今も含めてよく「戦争はいけない、平和でいよう」といった安直な風潮があるわけですが日本語の定義は難しいと感じます。日本人にとって最近の戦争はこの第二次世界大戦で、戦争といえば軍人だけが戦う武力戦ではなく、民間人をも巻き込んだ総力戦が唯一の戦争体験になります。そのため民間人は当然戦争を嫌うわけで、戦争をしない状態を望みます。これがいわゆる「平和」ということを指しているわけですが、一方でアメリカを例にとるとアメリカの民間人は南北戦争以降ずっと平和を謳歌しています。しかし実際にはアメリカ軍は周期的に戦争を行っており、最近の歴史から逆に数えると「イラク戦争」「湾岸戦争」「ベトナム戦争」「朝鮮戦争」となって、ようやく「第二次世界大戦(WW2)」まで遡ることが出来ます。アメリカにとって戦争とはほとんどが武力戦であり、民間人にはほとんど影響がありません。おそらくアメリカにとって平和を維持することと、戦争をすることが同義であると思われます。

今回の訪問で印象に残ったのは、知識も教養もあり、人格者である人たちが自ら選んで殉死していったことです。慶応大学出身で、家柄もよい長男が特攻隊に志願。軍が「跡継ぎである長男だから」といって一旦は拒否したものの、「うちは出来のよい次男がいるから家は大丈夫」といって無理矢理志願して特攻隊員となった21歳。

大和の沖縄特攻作戦で、死ぬと分かっていても「これは日本が次世代に生まれ変わるために必要な痛みだ」と殉じた兵隊。

死生観。

戦争で失われたものは、たんなる命にとどまらず、日本人の、知識と教養があり、人格者であるもの、つまり日本人としての良心が相当数失われたことが大きな損失です。

戦中に徴兵を免れることを、戦後に戦争責任を軍隊は政府に押し付けることに躍起となった人たち、声だけが大きく、保身に走る卑怯者が跋扈する日本となってしまった感があります。

特に良識ある大人たちは、「寡黙は美徳」であり、実際の戦争体験者は悲惨な情景を口にしたくないことから「本当のこと」は受け継がれていません。祖父も南方戦線(ビルマ)へ行っており、結核を併発し戦後約10年たってから帰国したというですが、父によるとほとんど語らなかったといいますし、その事実を私が知ったのも4年前のことでした。詳細は不明ですが相当ひどい状態だった、ということです。

まともな神経をもっていたら、逆に語れないことが多くなる、というのが真実でしょう。

戦争責任でいえばメディアと国民もそれは免れません。しかし実際には軍部や政府のせいにし、自分たちは犠牲者だ、という論調が趨勢です。

朝日新聞の強制連行の例もそうですが、メディアは売上をあげるためには手段を選びません。戦争に向かわせたのはメディアも加担していますし、それを求めたのは日本国民自身です。だからこそ、我々自身がきちんと戦争に向き合う必要があります。

原爆投下について、やはり理解できないのは投下した責任が日本に、日本人にあるということ。どう考えても納得いきません。投下したのはアメリカであり、その責任はアメリカに全面的にあるはずです。

これはどういうことかというと、いじめっ子の論理です。「いじめられる方にも原因がある」というものです。

いじめる側(連合国側)が言うならまだしも、いじめられた子(日本)が「自分に原因がある」というのはおかしいということです。これがまかり通るから、日本から「イジメ」がなくならないんです。

特攻もそうで、特攻されたアメリカが「特攻させるまで追いつめた我々が悪い」とは考えないことからも自明です。

結局特攻はそのインパクトよりも戦果にはつながらず、まさに無駄死になっていったことも一つの理由ではありますが、これが「日本が次世代に成長するために必要な痛み」と言って散った人たちに報うことが出来ているのか、自問自答する毎日です。

結局日本人は日本人でしかなく、戦前も戦後も等しく日本人気質が日本を支配しているということだけは分かりました。ただ、戦前にいた多くの人格者たちも戦争で失われたこと、戦後に保身と言葉巧みなペテン師のような人種が増長したことは間違いないでしょう。

そんなことを考える8月9日です。