でっかくなった新型MINI。最初は
「MINIなのに3ナンバーとか意味不明! DEKAでしょ!」
とまったく興味なし。東京モーターショーでアンヴェールされたものをじっくりみたものの、フロントオーバーハングの拡大やタイヤサイズは同じもののホイールアーチの造形が気に入らないなど、デザイン的にも全然来ず。なのでまったくもってアウトオブ眼中だったのですが・・・
その考えが改まったのは試乗。1.5リッター3気筒ターボのCOOPER、そして2.0リッター4気筒ターボのCOOPER Sを試乗してこれはヤバイぞと、想像以上に「自動車としてレベルアップ」していることを確認できたから。
そしてでかいでかいと思っていたものの、現在乗っている R55 MINI Clubmanと比較すると全幅以外はダウンサイジング。
R55とF56の比較
全長、ホイールベースともに短縮され、逆にワイドトレッドとなりコーナリングの安定性が増える方向です。ATで比較しても車両重量も減少。
あれ?
そうだったのです、クラブマンから考えると新型MINI 3HBはダウンサイジングだったのです、DEKAとかいってゴメンナサイ。
そうなってくると際立ってくるのはその走行性能と先進性。
MINIというよりもFF版BMW
BMW 1シリーズと共有するというFFプラットフォームの出来がいいんです。BMWといえばこれまでFR一色だったわけですが、ベンツのA1がFFで完成度が高く、リーズナブルな価格で出してきたのをみてでしょうか、ついにBMW 1シリーズの一部をFFまたはFFベースの4WDにすることになりました。
そこでMINIとプラットフォーム共有、さらにはエンジン共有ということになったわけです。
その影響で幅広となり3ナンバーとなるわけですが、5ナンバーと決別する代わりに得たのがそのボディの堅さ。
これまでMINIといえばゴーカートフィーリングを足回りの堅さで演出してきました。ボディが堅いというよりも、足回り、特にリアの伸び側が堅く、3HBでは突き上げがひどくて首都高速の継ぎ目ではフロントが逃げていくセッティング。そんなわけでワインディングや峠でもアンダー傾向でした。
これに対して今回はとにかくボディが堅い、ガッチリです。
太い、とにかく太い。
ハイテン鋼を使って軽量化しつつ高い剛性を確保しているとのことですが、このしっかりしたボディに組み合わせるのはしなやかな足。
同じ「ゴーカートフィーリング」という演出ですが、実現手法が全然違うのです。そして今回はより自動車として本来的な手法、ボディがしっかりしていて、アシがしなやか、というものですからそりゃいいに決まっています。
これがMINIで実現した背景はやはり走る歓びを知るBMWならではの考え方ではないかと、とらえています。
正直いうと自分自身、でかいBMWには興味はありません。ただ世界的に評価の高いBMW Mシリーズ、そしてレンタカーで借りた118dの高い走行性能を考えると、BMWの作る自動車というものの機械としての正しさは絶対的にあるのではないかと感じていました。
今回のMINIはMINIにあってMINIにあらず。
本質はBMWの自動車作り、ということがヒシヒシと伝わってくるのです。ブランドとデザインはMINIなのですが、これは間違いなくBMWの車です。
ハイテク装備にBMWの装備も
プラットフォームと走りがBMWそのものを予感させる一方、内装もぬかりはありません。レトロフューチャーなデザインを実現、LEDライトによるUXや、BMW譲りの MINI connected。TwitterにFacebook, Foursquareと連携可能と来ると、やはりIT業界にいる私としては興味がないわけがありません。
そしてトドメがスクリーンの出し入れが可能なヘッドアップディスプレイ。
完全なギミックに過ぎませんが、この無駄さ加減、意味のなさ加減がMINIのいいところなのです。
昨今の効率化、合理性をつきつめるのもいいのですが、それをやりすぎると最終的にはクルマには乗らない方がいい、さらには自分なんて生まれてこなければよかったという全否定につながります。だって一番無駄なのは自分の命自身、人生自身なのですから。
で、そうじゃないでしょ。
この世に生を受けたからには、自分を、そして誰かを幸せにする使命があるのです。BMWのいう「走る歓び」は「生きる歓び」ということです。自分が生きる歓びを感じ、誰かに歓びを与えるということと同義なのです。
ですからクルマ本来の持つ楽しさ、面白さを感じ、それをまた人に伝えることで誰かを楽しませる、これが私たちの使命であり、命題なのです。
それを改めて知らしめてくれるのがMINIなのです。
MINIはこう言っています。
自動車にいちばん必要な装備とは何か? ドライビング・プレジャーでしょ! - [の] のまのしわざ
本田宗一郎もこう言っています。
乗ることが
愉快であって
誇りでなければ
自動車の価値はない
いまどきの車は「(人やものを)運ぶ」ことを効率よく行うことばかり考えた無味乾燥なものが多いなか、一見無駄に見えるものをきっちりとやってくるところが、MINIおそるべし、いやBMWおそるべし、ということです。
日本人としては、
チクショー、自動車はやっぱりドイツなのかよ!
という忸怩たる思いがあるのですが、致し方ありません。
ホンダファンとしてはホンダには頑張ってほしいものです、やっぱね、シビックがこのポジションをかっさらうべきなんですよ。シビックこそでかく、ドアの枚数が増えてしまってますからね。
シビックといえばこれでしょ、これ! ワンダー!
そして派生車種と後継。
MINIがやっぱりいいのは3HBが基本ということ。分かってますよ、4ドアの方が効率的だってこと。でもね、カッコ悪いんですよ、4ドアとか5ドア。後部座席いらんのです。後部ドアがあった瞬間にすべてのドライビングプレジャーが崩壊するんですよ。
後部ドア不要論
簡単にいうと、後部ドアがあると、みんな後ろに乗っちゃうんですよ、タクシーみたいに。そうなると運転手はお客様を乗せたかのように慎重な運転になって、Gのかからない、大人しいドライビングになっちゃうんです。あー、つまらない、お金もらってもいないのに、なんでそんな運転手しなきゃいけないの?
その点2シーターはいいです。助手席はその名のとおり、運転手の助手なのです、つまり運転をサポートする位置であり、立場であり、役割。ラリーでいえばナビゲーター。
でも後部座席は荷物です。お荷物です。にも関わらず態度がでかいんです。そんなお荷物に遠慮して運転手は自我を殺して、A地点からB地点まで移動するだけです。でね、それが自動車文化を殺すんですよ。
話が元に戻りますが、これが効率化と同じく、結局自分なんて生まれてこなければよかった論に帰着するんです。無駄なのは人間、自分自身に。
ああ、MINIの話じゃないって?
MINIがすごいのは、確かにこれだけ効率化しているにもかかわらず、3ナンバーにもなっているのに、やっぱり3ドアハッチバックから来るんですよ。主体はドライバーであり、自分自身であるというところに。つまり人間が主体なんです。生まれてきてよかった、自分の人生楽しいな、とそう思わせてくれるのがMINI。
生きる歓び。
それがあるんです。これを工業製品であらわしてきているのは稀ではないでしょうか?
だから猛烈に欲しいんです。自分の生きる意味を再確認するためにも。