イジメと報復、日本からイジメがなくならない構造

あれは34年前の11月、小学6年生のこと。

川崎から藤沢に引っ越し、この時期に転校するなんてとてもタイミングが悪く、まさに「転校生」としての居場所のなさを実感していました。それでも優しく声をかけてくれる友達に遊びの輪に入れてもらい、中学受験の緊張がありつつも毎日を過ごしていきます。

転校して早い時期にクラスメートのA君からこう言われました。

「K君には気をつけて。彼はいじめっ子だから

K君とは見た感じ、ガッチリ体型。小柄ですがいかにも腕っぷしが強そうです。男子、女子を問わず絡んでは嫌がらせをする、と評判でした。

自分自身はK君と絡むことはほとんどなく、イジメの現場を見ることもなかったので、その評判の真偽を確かめることは出来ません。

ある時家の近くの公園で遊んでいると、女子中学生が声をかけてきました。

「K小学校なの? そこにK君っているでしょ、私の弟なの。色々とあるみたいだけど、根は悪い子じゃないから、仲良くしてあげてね」

姉という女子中学生もいじめっ子の姉には見えません。どちらかというときさくな、親しみやすいタイプなので混乱します。K君は本当にいじめっ子なのだろうか?

卒業も間近に迫った3月のこと。学級会で驚くべき議案がクラスメートA君から提出されます。

「K君の悪行のおかげで被害をこうむった人がこのクラスにはたくさんいます。制裁を加えるべきです!」

いじめっ子K君に対し、クラスが報復しようという議案でした。この議案は具体的にはクラス全員の子がK君をビンタするというもの。クラスは約40名、つまり40連続ビンタです。

この議案に対し、男子だけではなく、女子も賛同しました。そして多数決をとった結果、ほぼ全員が賛成、可決。実際にこの報復ビンタは行われたのです。

K君は教壇に立たされ、クラスメートが席順に並んで次々とビンタをしていきます。無言でビンタするもの、罵倒しながら思いっきり殴る者、様々でした。その間K君は何も言わず、涙を流すこともなく耐え続けていました。ただ次第に両方の頬が赤くなっていくのが見えます。

私の順番がやってきました。

「野間、お前もいけよ」

しかし転校生でほとんど交流のなかったK君からイジメを受けたこともない私がビンタする道理がありません。ただ議案は「クラス全員がビンタをする」だったので私も殴らないといけないのです。実際、それまで断った人はいません。

「いや、僕はいい」

私は席から立たず、ビンタを拒否しました。驚かれましたが転校生ということもあり、それ以上無理強いされることもなく、次の人に順番が回りました。そして全員ビンタが終了し、その学級会も終了しました。その間K君は反論することもなく、じっと耐えて席に戻っただけです。

担任もその様子を止めることもなく、口をはさむことすらなかったように思います。この時私は民主的暴力と正義の無さにただただ打ちのめされました。

私は私立中学に進学したため、その後K君がどうなったのか、公立中学でどんな様子になったのか知る由もありませんでした。

・・・

それから6年、高校3年生の3月。クラスメートから電話が入りました。

「今度クラス会やるからおいでよ」

6年ぶりのクラス会は藤沢で行われました。その場所にはなぜかK君も現れ、周囲の微妙な反応が見て取れました。

1次会が終わり、店から出る時のこと。あの学級会でK君に制裁を加える議案を起案し、クラスを扇動したクラスメートA君が突然K君に声をかけました。

一体何が起こるんだ、と回りの空気が凍りついた次の瞬間。

「K君、あの時は悪かった。あれからずっと自分は後悔していたんだ。本当に済まないことをした、許してほしい。」

A君がK君に許しを請うたのです。これに対しK君は笑って「いいよ、いいよ」とにこやかに返しました。その後2次会ではボーリング場に行ったのですが、K君とA君が肩を組んで歩いて、氷解したことに感動したのを今もよく覚えています。

・・・

小学校で起きていることはすべて、日本社会で起きていることである、というのが持論です。逆にいえば、小学校は日本社会の縮図です。よくイジメがなくならない、と言われますがそれは日本社会、大人の社会がイジメ社会だからであり、小学校からイジメをなくしたいのであれば、まず大人の社会、日本社会からイジメをなくさなければ無理です。

そしてこのK君の例は実際に日本社会で起きています。

クラスメートはほぼ全員、K君から多かれ少なかれ、嫌がらせを受けた、もしくは嫌な思いをしたということになっています。これには「K君はいじめっ子である」という情報が支配した結果でもあります。そしてその結果、クラス全員がK君に報復することに賛同します。しかし本当にK君がクラス全員に、それほどの迷惑をかけたかどうかは分かりません。少なくとも私には見えませんでしたし、「K君はいじめっ子である」という情報を確認できませんでした。

それでもこのクラスでは無抵抗のK君に対し、暴力をふるう報復が許されたのです。

これは本来許されるべきことではありません。数の力が、民主的な選挙がこの暴走を加速したのです。

「K君が回りに迷惑をかけている」

「あなたも迷惑をかけられている」

「だから報復してもいい」

という論理が支配している日本社会。これがイジメの根本的な構造です。いじめっ子を報復するイジメがなくならない限り、イジメがなくなるはずもありません。

私があのとき、あの報復に加わっていたら...後悔の念はA君の比ではなかったでしょう。なぜなら私自身はそもそも何も受けてないから。何も被害を受けていないのに、暴力をふるう、これは報復ではなくて完璧なイジメ、そうでないとしたらなんと呼んだらいいでしょう。

後悔しているのは、あの時なぜクラスの暴走を止められなかったのか。だから大人である現在は暴力に与することないのはもちろん、正していきたいのです。

私が何を例えているか、おわかりになるでしょう。


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