前回までのあらすじ流しのミニヨン・レーサー北川は横浜にやってきた。自動車メーカーのショールームでミニ四駆レースが開催されるという。なぜ自動車メーカーで、と不思議がる浜田と学生に北川は講釈する。
北川、浜田、学生の3人はスポーツカーの前に立っていた。
学生「最近はクルマは所有するものではなく、使うものになってますものね。便利かどうか、安いかどうかだけで判断されますよ」
北川「...フッ、ミニ四駆の会場には必ずレンタルマシンが用意してある。通りがかりの人でも遊べるようにした主催者の配慮だ。しかしミニヨン・レーサーがそのレンタルマシンを借りて走らせると思うか? みんな徹夜で組み上げ、思い思いのセッティングとカラーリングでレースにのぞむんだ。勝負の勝ち負けだけではない、マシンに想いを込めるんだよ。
北川「これが実物大スケールの自動車になったら、レンタカーでよくなるのか。確かに自動車じゃレースをしないという人がほとんどだろう。しかし、お仕着せの既製品ではなく服と同じく着こなしたい、自分の使い方に合わせたい、自分好みに仕上げたいと思ったら、レンタカーじゃ無理だ。」
学生「でもお金かかるじゃないですか。効率的とはいえませんよね」
北川「...金、効率、フッ。金で買える人生もあれば、買えない人生もある。100円の価値は日本どこにいっても、いや世界でも同じだ。しかし食べ物に困窮している貧民層にとっての100円と、資産家の富裕層にとっての100円の価値は同じか? ミニ四駆は700円で買えるが、オプションをつけていくと、いったいいくらかかっている? そしてそれに費やした時間は? ミニヨン・レーサーはレーサーになった時点で、もう普通の人生とは違う道を歩んでいるんだ。既製品では満足できない血が流れている。大事なのは金ではない。金は所詮通貨だ。価値を取引する単なる単位にしかすぎず、それ自体に価値はないのだよ。
古来人間は、いや動物だったころから移動を、スピードを求めてきた。獲物を早く捕らえる、それには移動できること、そしてスピードが必要だ。スピードを求めること自身、人間がもつ野生であり自然欲求だ。自分の足で走ること、そして馬や自動車を使って走ること、どちらも根源的な欲求は同じだ。より速く、より遠くへ。それが我々人間の生存本能なのだよ。
もしそれを求めない人間がいるとしたら、それはもはや人間ではない、動物でもない。ただ生きているだけの亡骸、ゾンビだよ。ゾンビは生きているものを食いものにするだけだからな。わかるか、だから金の亡者というんだ。若いのにそんな発想をすることは、金の亡者になっているということだよ。」
浜田「相変わらず、兄貴はキツイですのお」
学生「お金を使わないことが、金の亡者ですか」
北川「そうだ。お金をもっていようが、もっていまいが、同じこと。根本原理は一緒だ。生きるためにオレは走る。生きていることを感じるために走り続ける。そのために必要な代償は払う。それが金であっても、それ以外であってもな。」
浜田「ところで、兄貴ぃ、クルマもっているんですか?」
北川「...もっているわけないだろう。都内は駐車場が高いし、ミニ四駆は手で持ち運べる。電車で十分だ。」
浜田・学生「えっ」
(つづく)
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この小説はフィクションで、実在の人物・団体と一切関係ありません。賭けミニ四駆レースは法律で禁じられています。
ミニ四駆は株式会社タミヤの登録商標です。