廃村「大平宿」にいく前、「妻籠」へといってきました。
妻籠とは中仙道の宿場町。一歩そこに足を踏み入れると…
まるで映画のセットみたい! セットとの違いはほとんどが現存している本物、という点です。江戸時代、街道筋が整備されたときに生まれた宿場町。つまり400年以上の歴史をもつ場所です。ということはもちろん・・・
石垣もバッチリ現存!
民家の裏にも、
蔵の土台にも、
用水路にも石垣です。そしてもちろん
枡形(門)にも。
枡形は宿場の出入り口に設けられ、いざというときの敵の侵入を阻むとともに、江戸への到着を遅らせる役割を担っていました。ということで、いわば城塞の一種ともなっていたということです。
宿場でこれだけの石垣をみると、まさに石垣文化圏、石垣の最盛期といってもいいでしょう。
宿場町をとおるものといえば、大名行列。大名が宿泊する施設が本陣で、復元されて当時の趣を今に伝えています。
こちら脇本陣は現存、明治天皇もここへ訪問されたほどで重要文化財指定されています。
お庭も見事、土間からいろり、畳敷きの部屋が連なる構造は母方の実家(農家)を思い出します。開放的な大部屋構造と前庭と裏庭で風が抜けるようになっているところ、自然に涼しくなるように工夫されています。もちろんここもエアコンはありません。外は暑いものの、中はかなり涼しいです。
ちなみに表に「打ち水」をするのは単純に冷却するだけでなく、蒸発による上昇気流を起こすことによって、裏庭の涼しい風を表にひっぱりだすためです。すると微風が部屋の中を通り涼しく感じます。海風と同じ原理ですね。
高札場には幕府からのお達しが掲示されています。ものすごい高く大きな掲示版でいまでいうとアストロビジョンみたいな感じ。
そんなに頻繁にいれ替わったとは思えませんが、新しいのが掲示されたときにはこの札の回りに大きな人垣ができたに違いありません。それでもどこからでも見られるようにと、高くなっているのでしょう。
街道筋には水が流れていますが、これは上流を流れる川から取水。高低差をうまく利用し、自然に流しています。一部では水車も設置されていましたが、いつから回り続けているのでしょうね。
400年の歴史をもつ妻籠宿ですが、明治以降は衰退の一途です。鉄道がひかれたこと、道路が整備されたことで交通がガラリとかわり、宿場町としての存在価値を失います。人の流れが変わってしまったのです。
しかし高度成長期の昭和40年代、消え去る過去の風景の反動として保存運動がおこり、現在も当時の面影を伝えています。外国人観光客も多く訪れるらしく、脇本陣や宿屋兼お食事どころでは英語を話すスタッフがいて国際的です。
江戸時代で400年、鎌倉時代で800年、平安時代で1200年と多彩な歴史をもつ日本なので、この観光資源を活かすとまた新しい一面も見えてくるかもしれませんね。
経済発展は無限に供給されることが保証されたエネルギーに依存してこそ成り立つもので、電気の供給が「有限」とわかった今日。色々と考えなおす必要があります。
ここ妻籠宿は足元はアスファルトで舗装されていますが、昼間は歩行者用道路。
「クルマが通らない」
ただそれだけのことなのに、とてもリラックスしてプラプラと散策ができます。私は皆さんご存じのようにクルマが大好きですが、クルマの功罪も強く意識しています。便利と同時に排気ガス、騒音など撒き散らし、ひいては交通事故をひきおこすのもクルマ。
生活空間にクルマがないだけで、どれだけリラックスできて、静かなんだろうと改めて感じます。
こういった街道筋、改めて遊歩道を整備して宿場町を転々としながら全国を旅すると地域活性化するんじゃないでしょうか。それに外国人観光客もそういうの、大好きだと思うんですよね。クルマが通らない、歩行者専用の街道。エネルギー施策と経済が見えない今だからこそ、サステナビリティを具現化した江戸に学びたいものです。
将来的には高速鉄道、リニアが飯田市を通るという話ですから、リニアで飯田まできてそこから徒歩で山を歩く、なんていいかもしれませんよ。
(ものすごく涼しいひのき笠。まるで日陰を歩いているかのよう)
p.s.
今日の妻籠 » 猛暑~酷暑・・・暑い3連休今年は妻籠の番、こちらは南木曽町の国重文・近代化遺産巡りを企画しました。読書発電所(上の左)や桃介橋(上の右)、柿其水路橋(下の左)が国の重要文化財になっています。もちろん、妻籠宿の脇本陣奥谷も入っていますが、今回は近代化遺産と言う事での見学です。また、文化財にはなっていませんが、久保洞水路橋(下の右)も今では珍しい石造りです。お時間のある方は、どうぞ近代化遺産巡りをしてみてはいかがですか?
しまった~、近代化遺産もみどころタップリでした。次回は宿にとまってゆっくりみて回りたいです。
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