このGWを利用し、宮城県の山元町へボランティアに行ってきました。といっても瓦礫撤去や重い荷物運びといった力仕事は私には無理。ということで得意なIT分野の作業のお手伝いです。
まず初日は「思い出サルベージアルバム・オンラインプロジェクト」。
【東日本大震災】あなたの「思い出」ありますか…がれきから回収の品々、スタンドに展示 - MSN産経ニュース東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県女川町で、自衛隊ががれきの下からアルバムなどを回収し陸上競技場のスタンドに展示している。思い出の品を捜す被災者からは「がれきを自力で動かすのは難しく、ありがたい」と好評だ。
震災瓦礫の下から思い出のアルバムとかを自衛隊が拾って集めて感謝されていました... - Yahoo!知恵袋震災瓦礫の下から思い出のアルバムとかを自衛隊が拾って集めて感謝されていましたが、
よく思いつきましたね。
阪神淡路大震災時の教訓ですかねえ?
星新一さんが『災厄にみまわれた人間が最後によりどころにするのはノスタルジー、思い出だ』
と書いていましたが、
実際全てを失ったおじいさまが感謝していましたね!
自衛隊の方が瓦礫撤去の合間に見つけた思い出、アルバムや卒業証書、位牌などを収拾しひとところにまとめてきました。その数現時点で12万点!
しかしこの多くが泥と塩水をかぶって湿ったままなので、近い将来カビの発生などでボロボロになり原型をとどめなくなります。そこでITの出番、この写真を洗浄、スキャンしてデジタルデータ化、場合によっては画像処理することで鮮やかな思い出を呼び戻そうというものです。
私達は災害臨時F M「りんごラジオ」です: りんごラジオのブログ写真の洗浄作業が日本社会情報学会などのボランティアの皆さんの手で行われています。町内2箇所で10万枚以上の写真をフジフイルムから伝授された方法で15~16人が綺麗にしています。
せっかく発見した大事な写真もバクテリアによって駄目になってしまいます。したがって正しい方法で洗浄する必要があります。写真によってはデジタル化し、コンピュータで補正した後で、持ち主の手に戻ります。
一人ひとりの思い出が戻りますように・・・。
【津波につかった写真】
30度程度のぬるま湯に30秒程度つけて、表面の泥をそっと落とします。昔の紙焼きは意外と強くて泥を落とせますけど、最近のインクジェットプリンタ系のは触ったとたんに崩れてしまうので厳しいです。場合によってはそのままに。
洗った写真は干して乾かします。
【乾燥】
【ファイル】
乾燥後、ナンバリングした上でアルバムに再びファイリングします。
【デジタルデータ化】
ファイリングした写真をデジカメでバシバシとってデジタルデータ化。スキャナーでやることも出来なくはないのですが、大きさがまちまちであったり、写真がそっていたり、さらには読み取り時間がかかるなどどうにも効率的ではありません。
また写真洗浄できなかった、しなかったアルバムをそのまま撮影してデジタルデータ化することも可能です。
ある意味時間が勝負なのでデジタルカメラで次々と撮影、ハードディスクに保存しました。
・・・
この作業のうちデジタルデータ化(デジカメで撮影)を担当。津波につかったずっしりと重く、ボロボロになったアルバムを次から次へとめくって写真を撮るだけなのですが・・・
なんともこう、やるせない気持ちになります。
写真がひどくてもはや判別できないものもあるし、写真の量は圧倒的だし、例えデジタルデータ化したところでこの写真を持ち主、または知り合いの人が見つけることができるのだろうか? この地道な作業が本当に人の役立つのか、効率的なのか、色々な疑問もわき上がります。
しかし例え非効率的で、この作業が徒労であったとしてもゼロではない、きっとこの数十万枚に及ぶ写真の中で見つけて喜んでくれる人が一人でもいるのなら、やる価値はあります。
現在の技術では写真検索があまり実用的ではありませんが、将来、10年後には写真検索が実用的になり目的の画像をカンタンに見つけられるようになるかもしれません。その時、このデジタルデータ化は意味をもつものになります。
そう自分を納得させ、まるでマシーンのようにバシャバシャと写真をとってきました。
とはいえ「ボールペン工場」のように単純作業でもなく、一枚一枚違う写真であり、アルバムだったり、はたまた学校の課題のお絵かきや習字だったり。また見ず知らずの他人の写真をみることなんて滅多にないこと。ある意味一枚一枚が新鮮でした。
同じ世代であったり、白黒写真であったり、新婚旅行で九州縦断している人がいたり、バブルまっさかりの髪型+ファッションだったり、色々。場所は宮城県であっても、本当にみんなディズニーランドにいっていたりと、色々な発見がありました。
とにかく今はこの写真の持ち主が無事で、再びその元に戻ることを願ってやみません。