富山で世界最高水準・鍛造ホイールが作られる理由 #renault_jp

あまり知られていませんが、F1の100%のホイールは日本製!しかも95%が富山製です。

なぜ富山が世界の鍛造ホイールメーカーになったのか。今回はその秘密に迫ります。

【位置・地形】


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富山といえば日本海に面した北陸、能登半島の付け根にあります。高い峰の北アルプス、飛騨高山など山々に囲まれ、急峻な山々から注ぎ込んだ湾・富山湾はとても深く海の幸も豊富。

富山湾 - Wikipedia

富山湾の地形は特徴的である[1]。海岸沿いには浅い部分がほとんどなく、急に海底に向かって落ち込んでおり、海底地形は非常に険しい谷(「あいがめ」と呼ばれる)と尾根が多い[2]。湾の大部分は水深300m以上にも及び、一番深い部分は1,000mを超える。

この海にそそぎこむのが北アルプスから流れてくる黒部川。「黒部」ときいて思い出すのがもちろん、黒四ダム。

黒部川第四発電所 - Wikipedia

1958年に世界銀行から3700万ドルの融資を受けるなどし、1963年に完成。また、取水する黒部ダムの建設のためにつくられた「関電トンネル」の工事では冷水と破砕帯との闘いとなり、小説・映画・ドラマ『黒部の太陽』の舞台ともなった。現在、発電は遠隔操作されている。

1961年1月15日発電開始。最大出力33万5000kW(建設当時25万8000kW)2007年現在一般水力発電所(ダム式)による発電能力としては日本第4位(1位は奥只見発電所)、使用水量72.0m³、有効落差545.5m。

【水・電気】

急峻な地形、北アルプスの峰から一気に富山湾に注ぎ込むこの高低差を利用した、水力発電がとても盛ん。そしてこの豊富な水と電気は生活面だけでなく、工業面にも有利です。

富山湾 - Wikipedia

黒部川や神通川などの水とダムの発電により、富山湾岸では戦前から紙、繊維、化学など多くの工場が発達した。特に電力を求めてアルミ精錬工業が立地し全国一のシェアを誇るほか、アルミを使う関連産業が集まる。現在でも北陸電力の電気料金は全国で最も安い。

そうなんです、ここ富山はアルミ精錬工業が盛んだったんです。ついにたどりつきました、アルミですよ。

アルミニウム - Wikipedia

アルミニウムは、鉱物のボーキサイトを原料としてホール・エルー法で生産されるのが一般的である。ボーキサイトを水酸化ナトリウムで処理し、アルミナ(酸化アルミニウム)を取り出した後、氷晶石(ヘキサフルオロアルミン酸ナトリウムNa3AlF6)と共に溶融し電気分解を行う。したがって、アルミニウムを作るには大量の電力が消費されることから「電気の缶詰」と呼ばれることもある。

「ボーキサイト」という原料を大量の電気をつかい、電気分解して作るのがアルミニウムです。ところでボーキサイトって、日本でとれますか? いやいや、他の資源と同様国内にはありません。すべて輸入しなければならないのです。

【海運・港湾】

外国から輸入するとなると当然必要となってくるのが大型の船舶。そしてその大型船舶が寄港できる港です。その点富山湾なら深くて古来から海運業が盛んだったので好都合。

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富山湾 - Wikipedia

水深の深い富山湾では、北前船などの時代から港湾が栄えており、今でも伏木富山港は日本海側を代表する港湾として木材や中古車などの交易が行われている。

つまり「電気」「港」が揃った富山でアルミ精錬が盛んになるのは自然の成り行き。そしてこのアルミを加工して作るアルミホイール工場が生まれるのも当然の成り行きだったのでしょう。

オイルショック後の電気代の高騰で国内でのアルミ精錬自体は下火になりますが、それまでに培った経験でアルミ加工技術は世界トップ。それが富山に鍛造ホイール工場が集中する理由のひとつです。

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富山といって日本に広く知れ渡っているのは「富山の薬売り」。一方で余り知られていない、意識されていないのが公民権運動、「普通選挙」です。

普通選挙 - Wikipedia

普通選挙(ふつうせんきょ)とは、ある組織において選挙の際に年齢・性別以外で信条・財産等の制限を設けずに選挙権を行使できる選挙形式を指す。とりわけ、国政選挙において財産(納税額)等の制限を設けずに選挙権を行使できる選挙形式を指す場合が多い。

普通選挙とは男女、税金の納付額によらず選挙権を付与されるもので世界の民主主義のスタンダードですが、この「普通選挙」のキッカケはここ富山でおきているのです。

そのキッカケとは「米騒動」。

かしゆか(Perfume)の好きな食べ物は「白ごはん」!! ([の] のまのしわざ)

1918年米騒動 - Wikipedia

1918年(大正7年)7月22日の夜間、富山県下新川郡魚津町の魚津港に、北海道への米の輸送を行うため「伊吹丸」が寄航していたという。荷積みを行っていたのは十二銀行(北陸銀行の前身)で、その倉庫[3]前へ魚津町の女性労働者ら[4]十数人が集まり、米の船積みを中止し、住民に販売するよう求め、嘆願した[5]。

この時は巡回中の警官の説諭によって解散させられたが、住民らは集会を始めるなど、米の販売を要望する人数はさらに増加していき、翌月8月3日には当時の中新川郡西水橋町(現富山市)で200名弱の町民が集結し、米問屋や資産家に対し米の移出を停止し、販売するよう嘆願した。

8月6日にはこの運動はさらに激しさを増し、東水橋町、滑川町の住民も巻き込み、1,000名を超える事態となった。住民らは米の移出を実力行使で阻止し、当時1升40銭から50銭の相場だった米を35銭で販売させた。

これが地方新聞(8月9日高岡新報)[6]の記事から始まり、全国の新聞に「越中女一揆」として報道されることとなった米騒動の始まりといわれている[7]。

ちなみに、魚津では阻止する動きはあったものの、暴動は一切起こっていない。

社会背景としてはシベリア出兵などの好景気を背景に、米投機(先物取引)が活発化。米価が暴騰したことがあります。当時米の取引市場はなんと、株取引の出来高を圧倒的に上回るもの。明治時代は資本主義が導入されましたが、実際にはまだまだ江戸時代同様、米が貨幣価値をもち社会がまわっていたのです。

ところ主食である米が貨幣価値を持つことの弊害がでてきます。つまり米価が暴騰することで地元の労働者が米を買うことができなくなってしまったのです。

米がつくった明治国家

当時共働きが主流で、奥さんは女工として工場で働いてその日の給金をもらっていたそうです。この給金をもってお米を買い、その日の食事を作るという流れでした。

ところが米価が高騰し、その日もらった給金よりも1日分の米の方が高くなってしまったのです。しかも富山は米処。目の前の田んぼで作られた米がふんだんにあるというのに、米がなくて買えない、ではなく、他にもっていくから買えないという状況に。これに抗議して陳情にいったのが「米騒動」の発端。

それが「新聞」というメディアを通して全国に知られるようになり、全国規模の大暴動になったのが「米騒動」です。

当初は平和的な抗議だったのが、飛び火するにつれより大規模に、そして過激になっていきました。エスカレートするにつれ米問屋の打ち壊し、焼きうち、略奪が発生、鎮圧のために軍隊を出動させる事態に。国内の治安は通常警察がとるものですが、市民に同情した警察が黙認、場合によっては加担するなど発生したため軍隊が動く異常事態に至りました。

さらに飛び火したのはメディア。

1918年米騒動 - Wikipedia

米騒動の報道に際し、各種新聞は民衆の行動を好意的に報じると共に、根本的な原因は民衆の要求を無視し続けた政府にあるとした。一方政府は事件が広がったのは新聞が誇大に報道したためであるとし、8月7日に『高岡新報』を発禁処分にしたのを始め、8月14日には米騒動に関する一切の報道を禁じる記事差止命令を報道各社へ通達した。

言論弾圧が発生し、これがもとで言論報道の自由に関する運動に発展します。

もちろん政治の世界も同じです。世論は寺内内閣の総辞職を求め、結果的に「平民宰相」と呼ばれる原内閣が誕生。同時に大正デモクラシー、公民権運動が活発化していきます。

大正デモクラシー - Wikipedia

何をもって「大正デモクラシー」とするかについては諸説ある。政治面においては普通選挙制度を求める普選運動や言論・集会・結社の自由に関しての運動、外交面においては生活に困窮した国民への負担が大きい海外派兵の停止を求めた運動、社会面においては男女平等、部落差別解放運動、団結権、ストライキ権などの獲得運動、文化面においては自由教育の獲得、大学の自治権獲得運動、美術団体の文部省支配からの独立など、様々な方面から様々な自主的集団による運動が展開された。
「大正デモクラシー」と呼称されるべき期間も幾つかある。

桂太郎内閣への倒閣運動から治安維持法の制定まで、1905年~1925年とする説。
桂太郎内閣への倒閣運動から満州事変まで、1905年~1931年とする説。
辛亥革命から治安維持法制定まで、1911年~1925年とする説。
第一次世界大戦終結(ドイツ革命)から満州事変まで、1918年~1931年とする説。

など、その定義内容に応じて変動するが、いずれも辛亥革命から治安維持法制定までの時期を中心として、1917年のロシア革命や、1918年のドイツ革命と米騒動を民主化運動の中核と見なす点においては共通している。

つまり世界で同時多発的に勃興した「民主革命」は日本において米騒動により顕在化、その発端はここ富山だったんです。富山において世界レベルの製品が作られるのも立地の特異性だけでなく、この内包されたエネルギーがあってこそかも知れません。

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過去だけでありません。現在も世界で注目されている「コンパクトシティ」に積極的です。ライトレールを運用し、自転車シェアなど先進的な取り組みをみせています。

コンパクトシティ - Wikipedia

富山市の場合、もともと発達していた富山地方鉄道の中心市街地路面電車網を拡張して環状線化し、駅も増やして、貸出自転車駅を併設するなど意欲的な姿勢をみせている。さらに新築中の富山駅を経由して駅北部の路面電車網と直接連結することを予定している。また岐阜方面からの集客力を強化するために高山本線の増発や臨時駅設置の社会実験も行っている。

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北陸自動車道、長野道がつながり東京から高速道路でいけるようになったとはいえ、まだまだ遠い存在の富山。普段意識しませんが実際には日本に通用する、だけでなく世界に通用する技術をもつ富山。F1用鍛造マグネシウムホイールのシェア100%がMADE IN JAPAN、シェア95%が富山製です。

世界レベルの日本の技術、そしてそれが各地方に点在して世界を支えていることに大いに勇気づけられます。例え不況が続き、大震災があったとしても長い日本の歴史からみれば僅かなもの。くじけそうになったとしても、強い心をもって走り続けたいですね。

最後はPerfume「Dream Fighter」から。

最高を求めて 終わりのない旅をするのは
きっと 僕らが 生きている証拠だから
もしつらいこととかが あったとしてもそれは
キミが きっと ずっと あきらめない強さを持っているから
僕らも走り続けるんだ Yeh!
こぼれ落ちる涙も全部宝物 oh Yeh!
現実にうちのめされ倒れそうになっても
きっと 前を見て歩く Dream Fighter

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