東陽町の石橋:生活に溶け込む高度な石垣技術

東陽町は熊本だけでなく、明治政府に重用され日本の石垣(眼鏡橋)建築に大きな影響を与えた橋本勘五郎の里。それだけあって、街のあちらこちらに石橋があり、生活に溶け込んでいます。

石橋の聖地、石匠館は石橋(眼鏡橋)の博物館 ([の] のまのしわざ)

日本橋、二重橋はどちらもここ東陽町出身の橋本勘五郎(種山村、丈八)がかかわったとのこと。ちなみに丈八の生家はこの石匠館の隣、向かいにあり現在も橋本家として続いてます。

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山口橋
石工 川野
年代 1915
長さ 10.97m
径間 10.68m
拱矢 2.18m
橋幅 1.59m

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鶴下村中橋
石工 種山
年代 1877
長さ 13.30m
径間 9.10m
拱矢 3.00m
橋幅 2.23m

どちらの橋も集落をいきかう道をつなぐ要所となっており、とくに山口橋は集落どころか1軒の家の利便性のためだけにあるかのような作り。

東陽町のみどころは石橋だけではありません。石垣がすごい。

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これ、城跡でもなんでもないんですよ。石垣の上は畑があるだけ。

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スロープをあがると生姜畑がひろがります。

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蓼原橋
石工 川野
年代 1914
長さ 20.14m
径間 11.20m
拱矢 3.82m
橋幅 1.98m

石橋が石積みでできているのは、洪水対策でより強固な橋を求めてできたわけなので理解できますが、たんなる畑や家屋の基礎にもふんだんに使われています。

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帰りの新幹線で棚田をつぶさに観察したのですが、どうも九州にこの石垣でできた棚田、段々畑が多いよう。石垣にするとそれだけ急峻に作れるので、土地が有効活用できるという側面がありそうです。

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しかし積んだ石垣の高さよりも得られる平地の面積が余りにも少ない上のものに至っては、もはや目的と手段が入れ替わってませんかね。石垣をつくったから畑にした、みたいな状況です。

これだけ無駄に石垣が多い東陽町は「城壁都市」とうたってもいいかもしれませんね。

石匠館で見事な石垣の畑の写真をみたのですが、次回はそこに是非いってみたいです。その石垣の美しさに震えたいと思います。

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都市をつくる風景
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石橋 伝えたい日本の橋
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