2009年を振り返る:たんぶらぁ自己中心派からツイッターまで

さて2009年の振り返りをしてみます。WEB界隈では2009年は大激動の年といっていいでしょう。その台風の中心は言わずとしれた Twitter(ツイッター)。TwitterがブレイクしたことでWEB業界に限らず、社会全体にまでその影響力が及んでます。

といってもねえ、まあツールなわけですよ。電話やFAXといった通信ツールが一般化したのとそんなに大差ないことととらえればいいんじゃないかと。例えば電話が一般化した当初、謝罪といえば面と向かってが基本。

「電話で謝るとは不届きな!家まで来い!」

といったように電話が失礼なツールであったのに、今では家まで来てもらうのはもちろん、電話ですらして欲しくない世の中。ツールとしての機能はなんら変わらないのに、普及し一般化することでその位置づけが大きく変わるのはすでに経験したことです。

そんな中、一応ツイッターのアカウントを2007年に取得したものの余り使わず。ほとんどブログやタンブラーのfeedを流すといった、らしからぬ使い続けていました。しかし2009年のツイッターブームにより本来の使い方に変更せざるを得ないほど。そして現在ではiPhoneと相まって必要不可欠なツールとなったわけです。

その中でブログ、タンブラー、ツイッターの使い分け、位置づけがはっきりと定まってきました。

情報の入力手段:Tumblr(タンブラー)

タンブラーもツイッターと同様2007年から使用していますが、完全に中毒です。今タンブラーが使えなくなると色々と困ります。特に情報の入力をタンブラーに頼っている部分が大きく、これがなくなると情報が枯渇します。

タンブラーはもうほとんどfollowの入れ替えをしていません。固定化されたことで安定的な情報入力手段となっています。

出力手段:Twitter(ツイッター)

ツイッターの発言は主に以下の3つに分けられます。

・行動
・感情
・意見

私の場合、どうやら意識せずに「行動」のみをつぶやくようです。というのも「感情」「意見」は誤解や無用な軋轢を生む原因となるため。

twitterの homeは awayと考えた方がいい ([の] のまのしわざ)

「つぶやき」を入力するだけの機能をもつtwitterですが、人間だれしも愚痴はこぼしたくなるもので、つい会社の愚痴をかいたり、陰口を叩いたりしがちです。気持ち的には「王様の耳はロバの耳!」的な叫びなのですが、このtwitterも童話と同じく拡声器になって伝わって欲しくないところに届いてしまうのです。

無難なつぶやきは行動、「何した」「どこにいる」くらいなものです。ブログ的要素があるので意見(批判)ができなくはないですが、140文字の制約の中ではかなり難しい、書き手の技術力が必要です。

情報の入力手段としても活用しており、時事系ニュースやまとめサイト系などはRSSリーダーのように使えています。

思考手段:Blog(ブログ)

人によってはツイッターをはじめてからブログを更新しなくなった、ブログが不要になったという意見も散見されます。ただその人のブログがそもそもツイッター的な内容、行動の記録、感情のはけ口、意見(批判)の場で、140文字以内に収まる内容だったのではないでしょうか。

私の場合情報の入力手段としてのTumblrと世の中を知る手段としてのTwitterのTL(タイムライン)により、以前よりもより多く、深く物事を考えることができるようになったので、その思考をブログに残したくなっています。つまりより多くブログを更新したいのです。

ただ残念ながら多忙によりそれは果たせず。頭の中で整理された考えをブログの文章として残したいのですが、できるのは本当にごく一部。

2009年8月で変化したこと

このように、私にとってタンブラー、ツイッター、ブログの三位一体でバランスがとれた情報ツールだったのですが8月で一変しました。その原因は

政権交代(民主党政権誕生)

です。これがいかにエポックなことか、というのはTumblrがそれまで肌色で埋め尽くされていたのに対し、それ以降は政治的な話題で埋め尽くされてしまったことで明らかです。しかもその内容のひどいこと。一つ一つに感情的になるのですが、その感情のぶつけ先がない状態。ただReblogするのみ。

世界的にみるとイランの選挙でTwitterが民主化に大きな役割を果たし世界の注目を集めていたのに対し、日本人は全力スルー。同時期日本のTwitter界を席捲してたのが、、、

ヒゥッヒヒー旋風

もはや誰も覚えてませんね、きっと。いかに日本人が国際や政治にたいして興味がないかを露呈し、国際人から落胆と失望のつぶやきが聞こえてきました。

ところがその1ヵ月後事態は急変したのです。衆議院議員選挙で自民党が第一党から凋落、民主党政権が誕生したことによって。

TumblrのDashboard(ダッシュボード、Twitterのタイムラインのようなもの)が政治ネタで埋め尽くされ、同時にTwitterも民主党の無双っぷりを多く伝えるようになりました。政治家のTwitter活用が脚光を浴び始め、直接交流が活発になってきました。

日本人がここまで政治に関心を寄せるのかと思ったくらいのフィーバーぶりです。もちろん身近な税制であったり福祉といった直接関わるものだったからというのもあるでしょうが、お上にすべてを預けてきた日本人がモノをいいはじめたのです。

これは由々しき事態です。

古来、日本人と呼ばれる人種はお上はお上、といった意識をもっており文句はいうけど従順というのが特色です。ここ数百年の歴史を振り返り、お上にたてついたことは数回しかありません。

・農民一揆(島原の乱含む。実態は農民一揆)
・米騒動

幕末も激動ですが、所詮お侍が二つに分かれただけで民衆は蚊帳の外です。しかしインターネットというツールは民衆のもの。多数が力をもつということでは民主主義と附合し親和性が高いといえます。そのネット界がザワザワとしているのです。

その点でいえば8月以降は風向きが変わったといっていいでしょう。

ネットが一般化した

2009年ツイッターがブレイクしたことにより民衆の声が直接政治家に届くようになりました。電話や自動車が生活に溶け込んだのと同じように、ネットのツールも生活に溶け込んでいきます。溶け込んでしまえばそれが普通のこととなり、違和感など持ちません。

ネットのツールが一般化することで、どのように社会の作法が変わっていくのか、これからの行く末が楽しみです。

とりあえず政治ネタが少ない、平和なネット界に戻って欲しいなあ、まあ無理でしょうけど。