熊本といえば熊本城の石垣が有名ですが、これを作ったのは「肥後の石工」と呼ばれる職人たち。その石工の末裔たちが街に作ったのが「眼鏡橋」です。
肥後の石工年表「肥後の石工」といっても、県内各地に様々な系統があり、調査が進むに従い、数多くの石工の存在が判明してきました。本ページでは、その中から、加藤清正の熊本城築城に関わった「近江の石工」をルーツとする「仁平石工」グループと、長崎奉行所の武士「藤原林七」を祖とする「種山石工」グループの2つの大きな石工集団に絞って、石匠館のパンフレット等を参考にしながら紹介致します。
石匠館肥後の石工のふるさと八代市東陽町にある「石匠館(せきしょうかん)」を紹介します。石橋を知るには、県内唯一の石橋の博物館「石匠館」を訪ねるべきです。
石垣マニア、石橋マニアは是非訪れるべき聖地といってもいいでしょう。まあ本当の聖地は石橋そのものなのですが。
ということで石橋、通称「眼鏡橋」を探しに芦北町まで(2008年9月に)行ってきました。今回訪れたのは
・門口眼鏡橋
・橋本眼鏡橋
・塩屋眼鏡橋
眼鏡橋といっても2つアーチがあるわけではなく、1つです。
場所はgoogle mapから。
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(門口眼鏡橋:原付自転車が走ってます)
今も現役バリバリ、市民生活に溶け込んでいるのが分かりますね。
(塩屋眼鏡橋:町役場の駐車場側に移設されたため、ちょっと趣が異なります)
石橋写真紹介熊本県内には、石造めがね橋(アーチ式石橋)だけでも340基以上残っています。ここでは県内の「石造めがね橋」を中心に、写真が手に入り次第紹介していきます。なお、下の橋名が色違い斜体 は「石造めがね橋」以外で、下線があるのは本同好会「現地未確認」の石造めがね橋です。現在、ここに紹介している石橋数は423基(県外33基、海外13基を含み、煉瓦とコンクリート造りの4基を除く)、写真は746枚以上。
熊本には各地にこれだけの眼鏡橋が点在している模様。これを訪ね歩くだけでも相当面白そうです。
次は通潤橋を含む、有名眼鏡橋を見てみたいですね。
通潤橋阿蘇外輪山の南西側すそ野、上益城郡山都町(旧矢部町)に、全長79.64m、橋幅6.65m、橋高21.43m(昭和59年3月の通潤橋修理工事報告書より)の堂々とした「通潤橋(つうじゅんきょう)」という、大きな石橋がある。この橋は江戸時代ペリーの来航騒ぎの最中、安政元年(1854)矢部手永(てなが)惣庄屋(そうじょうや)布田保之助(ふたやすのすけ)の企画、石工丈八(じょうはち)達の技術、矢部郷住民の献金と労力奉仕のもとに完成したものである。
通潤橋は人を渡す橋ではなく、橋の上に石造パイプを3列並べた通水管を通し、水を渡す水路橋である。水路は水の吹上口が取入口より約6m低くなり、逆サイホン(注)とも呼ばれる連通管によって対岸に水を送る特異な構造になっている。アーチ橋自体の技術史上、また文化史上貴重な遺構、極めて重要な建造物と認められ、昭和35年2月9日に文化財保護法の規定により、国の重要文化財にも指定されている。
石橋にしても100年以上の歴史をもつものばかり・・・九州恐るべしです。