日本全国、ごく一部の城郭・石垣ファンの皆様、お待たせしました。熊本城のもっとも特徴的な、石垣の進化と変化を今に残す「二様の石垣」のご紹介です。
二様の石垣(にようのいしがき)ここの石垣は隅部の反り(勾配)や積み方が著しく異なっている姿が同時に観れることから「二様の石垣」といわれている。
向かって右手、隅部の勾配が緩やかな石垣が築城当初の加藤時代のものと考えられ、左手は細川時代になって増築されたもので勾配が急になっている。
隅部の石の形や積み方にも違いが見られ、重ね積みから算木積みへと時代による石積み技術の進歩が解かる貴重な資料となっている。また、不ぞろいの石を使っている加藤時代の積み方(乱れ積み)と、比較的同じ大きさに加工した石を使い整然と積み上げる(布積み)細川時代との違いも平部において観ることができる。
・隅部の積み方の違い
重ね積み・・・同じような大きさの石を積み重ねる積み方
算木積み・・・長方形にちかく加工した石を使用し、長いほうと短い方を交互に積み重ねていく積み方・平部の積み方の違い
乱れ積み・・・粗割(余り加工していない)した石をそのまま積み上げる
布積み・・・方形に近く加工した石を横に並べて積み上げる(熊本市)
以下、石垣の進化についての解説(熊本城内展示より)。
近世城郭の石垣は、初期のものを、野面積(のづらづみ)といい、自然石を割って積み上げたものです。中期のものは、打込みはぎ(うちこみはぎ)といい、槌で石材を積みやすく加工したもので、熊本城の石垣のほとんどがこの方法です。
そして、後期のものは、切込みはぎ(きりこみはぎ)といい、過度も表面もきれいに削った隙間のない石垣です。
また隅角部(ぐうかくぶ)の石垣については、穴太積(あのうずみ)にはじまり、算木積(さんぎづみ)へと発展していきました。
そしてちょうどおめでたいニュースが。
熊本城本丸御殿 入館者100万人に 半年で突破(西日本新聞) - Yahoo!ニュース本丸御殿は1610年ごろ、肥後熊本藩主の加藤清正が築き、1877年の西南戦争で天守閣とともに焼失したとされる。同市が熊本城の築城400年(2007年)に合わせ、約54億円を投じて復元。金箔(きんぱく)を施した豪華絢爛(けんらん)な障壁画などが人気を呼び、週末は韓国、中国などの外国人観光客も含め1日1万人以上が訪れている。
ということで、次回は本丸御殿のご紹介の予定です。ご期待ください。