スタジオジブリ鈴木敏夫と宮崎駿的アジャイル映画開発

「光あるところに影あり」

宮崎駿を光とすれば、スタジオジブリの鈴木敏夫は影。カリオストロ公爵といってもいいでしょう。先月発刊された鈴木敏夫著「仕事道楽 スタジオジブリの現場」では、そのフィクサーぶりを包み隠さず述べてます。

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まず問題のナウシカのラストシーン。あれですよ、押井守が「タチが悪い」と批判し、宮崎駿が「宗教画っぽくなってしまった」と今も悩んでいるもの。実はこのラストシーン、鈴木敏夫氏が提案したもの。

ラストシーンをかえる もうひとつはラストシーンです。王蟲が突進してくる前にナウシカが降り立ちます。宮さん(宮崎駿)は最初、そこでエンドマークというつもりだったんです。(中略)あまりにもカタルシスがないと思いませんか?

(中略)

二人(高畑・鈴木)でラストシーンの案をいろいろ考えた。案は3つでした。A案は宮さんの案そのまま。(中略)B案、これは高畑さんが言い出したもので、王蟲が突進してきてナウシカが吹き飛ばされる、そしてナウシカは永遠の伝説になる。C案、ナウシカはいったん死んで、甦る。

鈴木敏夫「仕事道楽 スタジオジブリの現場」 p.48-p.49

公開間近で宮崎駿も焦っており、「わかりました」とC案=鈴木案を採用したんです。

「ナウシカ」のラストシーンの感動された方には申し訳ないんですが、現場ではだいたいこんな話をしているんですよ。

そもそもこのラストシーンの変更は、絵コンテがあがってきた後にされたもの。つまりスタジオジブリの映画制作において、通常のようにシナリオを決めてから製作に入るというスタイルはそもそもこの時点で崩れてます。

このような一見いきあたりばったりにもみえる長編アニメーション製作手法はその後、さらに確立していくことになりました。

結末が決まらないまま、作画に入る

宮さんの映画づくりでおもしろいのは、絵コンテを途中まで書くともう作画に入ることです。つまり、結末が決まってない。

(中略)

途中から主客転倒というか、目的が変わってきました。宮さんは「結末がわかっているものを作っても、鈴木さん、おもしろくないよね」なんて言いだす。ひとつの手法になってしまったんです。

鈴木敏夫「仕事道楽 スタジオジブリの現場」 p.69

「天空の城ラピュタ」「魔女の宅急便」には(一応)シナリオがあり、シナリオなしにはじまったのは「紅の豚」から。そして意図的に(話の展開をきめず)はじめたのは「もののけ姫」、と告白しています。

たけくまメモ : パンダとポニョ(2)

ところが、宮崎アニメにシナリオは存在しないわけなんです(アテレコ用台本はありますが、これは映像が完成した後に絵コンテから起こしたものです)。これはかなり有名な話ですけど。かわりにあるのが絵コンテですが、宮崎さんは、文字によるシナリオを作らずに、マンガ家がまずネームを切ってそこでセリフやストーリーを考えるように、コンテを切るわけですね。

コンテがあればいいじゃないか、と思われるかも知りませんが、宮崎監督の問題は、最後までコンテが完成しない段階で制作に突入することです。これは映画制作ではちょっと考えられないことです。(香港映画では、盗作を防ぐために末端スタッフにはシナリオを見せずに撮影に入るらしいですが、これとは話が違います。宮崎アニメでは、監督本人も結末がわからないまま、制作に入ってしまうのです)

これを鈴木敏夫は

映画づくりというものは航海に出た船と同じで、照る日だけじゃない、雨の日、嵐の日がある。その船に乗っているのがスタッフで、航海の行く末、つまりこのお話の結末がどうなるかわからない、そのスリルとサスペンスを監督以下全員が味わうことが、映画をおもしろくし、その作品にとってある幸運をもたらす。宮さんはそう考えたんです。

といってます。その結果、A,B,C・・・パートと、各パートをTVシリーズと同程度の20分に分けて、パートの絵コンテが出来たら作画に入ってしまうという荒業を駆使しているのが現在の宮崎駿です。

そしてこの手法自体はなんと初監督作品「カリオストロの城」ですでに使っていました。

アニメーションを作るということ

「ルパン」のような作品は、筋は定まっても、どのような見せ方をするか、人の出し入れや、しのばせる罠や伏線が大事なので、映像化する過程で、プロットの変更はまぬがれがたい。

起承転結に合わせてA、B、C、Dの4パートに分けて進めた作業で、Cパートに至り、当初の計画では大幅な尺オーバー(決められた映画の長さから、はみ出すこと)が見えてきたので、筋立てを簡潔にすむよう中修正を行った。Dパートはスケジュールが逼迫し、予定した内容では作業が消化できないと判断し、戦術的後退を絵コンテ段階で行った。

この妥協のために、作品完成後の半年間、精神的に敗北感にさいなまれた。しかし、一見変則的とも見えるこの方法そのものは、決して間違いでないと思っている。

(講座アニメーション3「イメージの設計」 美術出版社 1986年1月5日発行)
宮崎駿「出発点 1979~1997」 p.99

このときは迷いが見えますが、その後このスタイルがジブリのデファクトスタンダードになるのですからチャレンジや妥協というものは大事です。

そしてここでもうひとついえるのは、このような作業というのは例えばIT業界にみられるアプリケーション制作に通じるものはないかと。

通常アプリケーション制作、いわゆるウォーターフォール型ではアプリケーションの設計を行い、仕様を策定してから制作=プログラミングに入ります。その後できたものを結合し、最終テストを行ってローンチとなります。

ところが納期・スケジュールが逼迫し、やりたいものはできず徹夜の連続で間に合わせてもバグだらけで使い物にならん!となり、即座に次のバージョンの企画に入ってしまうことはありがちです。

一方でアジャイルやインクリメンタル開発手法では、出来たものを即出して、修正してを繰り返す手法をとります。

宮崎駿のこの制作スタイルは、ウォーターフォール型を捨てて、アジャイル型に移行したともとらえられます。そういう意味で、非常に参考になる事例ですね。実際アジャイル映画開発がきわまったポニョでは、各シーンの密度と濃度と解像度に圧倒されつつ、一体どうなるのかさっぱり予想がつかない状態で集中力が途切れることなくラストまで続きました。

アプリケーション開発でもこのような密度と濃度がきわまったものを作りたいものです。

「崖の上のポニョ」というか宮崎駿というプロジェクトのわかりにくさ:[mi]みたいもん!

ゲームを作っていたら、写真共有サイトFlickrになっていたとか・・・

SI発注されて出来たものが違っていたら大問題ですがw


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