「パパ、このご本よんで~!」といつものようにせがまれて、持ってこられたのがこの「紙芝居 日本人の力シリーズ 箱根用水 友野与右衛門」。
指導項目には「忍耐・不■不届 人類愛 尊敬・感謝 正義・勇気 創意工夫」とあり、どうにも子供向きとは思えません。そして読んでみると・・・
箱根用水 - Wikipedia1666年に工事開始。技術的な困難さに加えて、民間の土木工事のため、江戸の西の玄関口として関所もある箱根という土地柄から幕府の圧力を受け続け、また常に資金難にもさらされるなど、想像を絶する難工事となったが、友野や大庭らが私財をなげうち(友野は自宅まで犠牲にして資金を工面したという)、数々の困難を乗り越えて、トンネルが1670年に完成。翌1671年に灌漑用水路全体が完成。 芦ノ湖側と裾野側の両方から手作業のみで掘り進めたが、この2本のトンネルが出会った地点の誤差はわずか1m程度であったという。
といったように、民間の大工事をなしとげたお話です。映画「箱根風雲録」の原作ともなっているのですが・・・(以下ねたばれあり)
箱根用水完成の日 - 今日のことあれこれと・・・映画では、お上にも出来ぬ大工事が、一町人と農民の手で成功すれば幕府の威光は地におちると考えた幕府の役人たちが、陰険な妨害を加えて、与右衛門は2度も3度も捕られ、挙句の果てに、与右衛門は用水貴流と共に幕府の兇刃に倒れたことになっている。
映画とは若干ディティールは異なるものの、最後与右衛門は処刑されました。子供向けの紙芝居なのに・・・
箱根風雲録影響:私は9歳の時、父に連れられてこの映画をみた。懸命に生きようとしている農民達を弾圧する幕府の役人の醜悪な顔を見て、断然の反体制になった。子供に対する映画の影響は大きい。幸か不幸か、行動力がなかったため、長じるにつれてノンポリとなってしまったが、あの映画のお上の理不尽さは、心から消えないでいる。
とまあ映画を見た人もトラウマになったくらい衝撃的で泣ける話です。紙芝居を読み上げながら、なんどか言葉につまってしまいました。
しかし、、、
箱根用水完成の日 - 今日のことあれこれと・・・しかし、以下参考の「箱根(町観光振興協会HP)」によると、後の調査で、「箱根用水は耕作期にだけ湖水を渡し、他は、早川に流した。小田原藩が藩米増加のため計画し、友野らは工事請負人、農民は代官の命令で動員された。友野らは工事完成後、新田から年貢米を売り上げて資金を回収し、さらに利益を見込んだが、掘抜工事1年の予定が4年に延び、新田500町歩が200町歩以下と資金繰りに困り、富沢村の「選び出し米代金」として幕府へ納めるお金110両を着服して訴えられた」ことが判明。だから、友野は、義人ではなく横領犯という不幸な結末に終わったというのが史実らしい。
ええーーー、そんな・・・私の涙はいったい・・・
ちなみに、映画はあの円谷英二さんが特殊撮影を担当しています。だからといって芦ノ湖のアッシーという怪獣はでてきません。
Amazon.co.jp: 箱根風雲録: 山本薩夫, 楠田清, 河原崎長十郎, 山田五十鈴, 中村翫右衛門: DVD特殊撮影は「ゴジラ」の円谷英二が担当している。「ゴジラ」以前の仕事振りが見られる貴重な作品といえる。
箱根風雲録
楠田清
それにしても4歳児(来月5歳)になる子供はどんな気持ちで話を聞いたんでしょうかねえ。紙芝居、あなどれません。GHQも検閲したくらいあなどれません。
紙芝居 - WikipediaGHQと"Kamisibai" 日本占領を始めたGHQは、当時の日本における"Kamisibai"(紙芝居)の子どもたちに対する影響力に驚くことになった。当時の紙芝居はGHQにとって「予想もしなかった人気メディア」[2]だったのである。戦前からの国作・軍国紙芝居を取り締まるため、GHQは1945年11月15日、en:PPB映像部門に紙芝居担当係を新設し、内々にピクトリカル・コードを定め、検閲を行った。 戦後に活動の自由を得た共産党系の組織が左翼思想の浸透に印刷紙芝居を活用しているとして、GHQはこれに神経を尖らせ、検閲を強化。左翼系紙芝居として公表禁止や一部削除の処分を受けた作品も出た。
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