ネット有害論と子供の教育

だいたい教育の権威とやらが集まって作るものにロクなもんはないです。
というのは「ゆとり教育」の失敗での教訓ではなかったのではないですか。

小中学生に携帯電話持たせないで…教育再生懇が第1次報告(読売新聞) - Yahoo!ニュース

子供を有害情報から守るため、小中学生が携帯電話を持つことがないように関係者に協力を促している。また、英語教育の強化を掲げ、国に小学校3年から英語を必修化するように求めた。

[間歇日記]世界Aの始末書: 肥後守とケータイ

つまり、ケータイはナイフのようなものだということにすぎない。追放(?)しようとしたところで、無駄なことである。自分も人も傷つけないように正しく使えばたいへん便利なものであり、大人にはそれをきちんと子供に教える義務と責任がある。どのみち、いま、安易な考えと勢いだけで「子供にケータイを持たせるな」なんて言ってる連中の多くは、そのうち、中国やら韓国やら台湾やらの子供に比べて日本の子供は情報機器を使いこなす能力が低い――なーんて調査結果が出たりすると、掌を返すように「子供にケータイを持たせろ」と言い出すに決まっているのだ。

ゆとり教育」は専門家が目先のことだけを考えた結果教育レベルが著しく落ち、それが国際的な学力テストで明白になったのは記憶に新しいですね。

それなのにまたですか。このループを何回繰り返せば分かるんだろうと思いますが、恐ろしいことに日本人はなにせ

水に流す文化をもつ民族

なので、あーら、さっぱり忘れてしまうんでしょうね。

さて一児を持つ親として、教育方針を真剣に考えています。我が家での教育方針では以下を施行、または施行予定です。

・テレビ禁止(実施中)

・ゲーム機禁止(携帯ゲーム機、TVゲーム機)

・自転車禁止(公道でのみ。クローズドコースはOK)

・携帯禁止(予定)

です。

さて上記の理由です。

●テレビ禁止・・・

これは明白です。これほど有害なものはないからです。嘘、イジメの元凶であると考えてます。

●ゲーム機禁止・・・

この世のものはすべて物理法則にしたがっています。多くの娯楽、スポーツはこの物理法則の原理原則のもと、成立させています。そのためまずはこの物理法則と戯れる、現実の娯楽、スポーツを体験させるのが優先されます。ゲームはその現実世界を模し、拡張したものと捕らえています。現実の物理法則の原理原則を理解した後に解禁予定です。

●自転車禁止・・・

公道上で、交通手段としての自転車、二輪は禁止です。これは私自身、兄弟が大事故を起こしているからで、単純に性格的に向いてない、危険だからです。

●携帯禁止・・・

さて今回のメインテーマです。携帯を禁止する理由ですが、教育答申のような「有害情報にアクセスする危険性があるから」という理由ではありません。端的にいうと、

不要

だからです。小学生で携帯電話を携行する必然性がありません。少なくとも私が小学生の頃はなかったし。ですから必要になったときに考えます。そしてその判断は親に委ねてほしい。

有害かどうかだけでいうならば、コンビニにおいてあるヤングなんとかという成人コミックや、18禁本の方が氾濫していて、アクセスが容易。なぜこちらは野放しなんだろう。

まあ禁止だけではなんとも一方的なので、積極的に支援していることも。

●youtube・・・

子供にとって、動画はユーチューブ。なぜユーチューブがいいかというと、自分で見るものを選択できる、時間が短い、関連動画が見やすいという点。そしてマウス操作が子供にはできないので、親がついてなければ見られない点。これはTVのリモコンの容易さと比べるととてもよいハードルになっています。

●絵本・・・

TVを見ない代わりに、物語はすべて絵本の読み聞かせでまかなってます。これははっきりいって親に一定の負担をかけます、だって読んであげなきゃいけないから。何冊も読むので30分くらい読み続けることになることも。しかしこちらも選択的で、かつ能動的に接触するものなので、youtubeと同じ性質かと。

●普通の本・・・

自分が読んでいる本、雑誌。たとえばPENやRC Sportsなど。字は読めなくとも写真を楽しむことができます。4歳児とはいえ、パターン認識能力は大人並にあるので、きちんと理解できるんです。

パターン認識能力を示す例としては、以下オープンカー、

MR-S, マツダロードスター、S2000、ビート、カプチーノ、コペン、ポルシェボクスター

を4歳児でも間違いなく区別可能なのですから、自明でしょう。

教育とは子供一人一人の成長に合わせ、適切な時期に適切な材料を与えることだと思っています。その上で親の役割は非常に重要で、子供をよく観察し、コミュニケーションをとった上で環境を作らなければいけません。教育の主体はあくまでも両親であり、家庭です。教育機関は補助的で教育のごく一部を担当するに過ぎないものなで、分をわきまえてふるまってほしいと感じます。

携帯を与えるか、与えないくらいの判断は自分(父親)がしますから。