ドイツ車は飛行機を模倣し、日本は新幹線を作った。そして日本車は?

最近ドイツ車を乗っているのですが、車に対する考え方というか、歴史というか、色々な違いを感じさせられます。

最近思ったのは、少なくともBMWっていうのは歴史柄なのか航空機を模して車を作っているのではないかということです。

BMW - Wikipedia

1913年 航空機・船舶用エンジンメーカーとしてラップエンジン製造会社(Rapp Motoren Werke : 略称RMW)設立。

1917年 社名をBMWに改称。

1922年 バイエルン航空機製造会社(Bayerische Flugzeug Werke : 略称BFW)と合併。社名は引き続きBMW。
1923年 2輪車の製造を開始。

1926年 航空機製造部門をBFW社として分離(同社は1938年にメッサーシュミットと改称)。

末はあのメッサーシュミットですからね。

エンジンについての考え方で、オイルに関して。まずオイル交換が約20,000kmと長い点。航空機は一度離陸したら着陸するまでオイル交換はできませんし、給油も基本できません。ですからオイルもいいものを長く使うのは当たり前だし、たとえ新品エンジンであっても同様なのでしょう。

またインフラとして大きいのがアウトバーンという高速道路がすでに存在したこと。

アウトバーン - Wikipedia

アウトバーンは世界で初めての高速道路ネットワークであった。このことはドイツを世界屈指の自動車大国に作り上げていく大きな礎となったと言える。フランクフルトからダルムシュタットまでの最初の区間は1935年に開通した。

この高速道路がすでにあったことで高速で、ノンストップで移動するという航空機に近い運用が車に対してもされたことが、航空機を模したもう一つの理由ではないかと思うのです。

そしてそれはブレーキ性能にも表れています。このブレーキは低温でもよくきき、なおかつ耐フェード性に優れているようです。これもおそらくは車庫を発進して、アウトバーンにのり、一気に200km巡航。外気温は0度前後、それまで一度もブレーキを踏まない状況下で突然フルブレーキをしなければいけなくなっても止まれる、しかもそれを連続で3回やっても大丈夫というほどの性能。いやこれは性能というよりも、要求性能なんでしょうね。その代償としてブレーキダストがものすごいのですが、ダストが少ないことはどうやら要求性能にはなってないようです。

一方の日本はといえば、戦争で負けて財閥解体。航空機技術を持つ技術者もちりぢりばらばら。ガソリンもなければ道路もない。車を走らせる環境も揃ってなかったわけです。

その中で気を吐いたのがホンダのスーパーカブ。ガソリンを使ったモータリゼーションは実は二輪からはじまるわけですね。

日本において散り散りになった航空機技術が結集したのは、新幹線。

新幹線開発物語

新幹線プロジェクトは、三木忠直という戦争当時飛行機の設計開発に携わっていた男の執念によって、進められたと言っても過言ではない。実は三木は戦争当時、桜花という特攻専用のただまっすぐに敵艦に飛んで行って体当たりするための飛行機も設計させられた経歴を持つ航空機設計のエリート技術者だった。

しかし世界最高水準の250キロを超える超高速での走行には、車体の揺れを防ぐ技術開発が必要であった。そのため戦時中史上最強の運動性能を持つと言われた名戦闘機ゼロ戦の機体の揺れを制御技術を確立したひとりの技術者が、画期的な油圧式バネを考案し、車輪の台車を完成。こうして見事に超高速での振動を克服した。

安全面を重視する時、電車が近づいた時や地震があった時など、安全装置が働いて、自動で新幹線が停止するような仕組みが必要とされた。やはり軍で信号技術を研究していたひとりの技術者が、「自動列車制御装置」(ATC)の実験に取り掛かり、この問題も解決していった。

世界有数の鉄道国で、高速鉄道をリードする新幹線開発には航空機技術がふんだんに使われたということです。そして新幹線が開業したのは1964年10月1日、東名高速道路が開通したのが1968年4月25日なので、実に4年も先んじて高速鉄道が開通していたことになります。逆にいうと新幹線があったからこそ、ここまで鉄道がしぶとく生き残ったとも言えるでしょう。

まとめるとドイツではアウトバーンが存在し、航空機を模して車を作っていたのに対し、日本では地上を走る航空機として新幹線を作ったということですね。

その結果どうなったかというとドイツに高速鉄道の出現が遅れ、日本は新型GT-Rをもってようやくポルシェに追いついたわけです。同じ敗戦国といっても、アウトバーンの有無でこれだけ歴史が違ってくるのもなかなか面白いです。

で日本車は何を模したかというと、基本的には外国車の模倣でしかないというのが「湾岸MIDNIGHT」の指摘です。

60年代はデザインでアメリカ車を、70年代から西ドイツ車を模しはじめています。日産のL型エンジンもベンツの6気筒エンジンが基本とのこと。つまりRB26DETTのルーツはベンツだというのですから驚きです。

そして要求性能はというと200km巡航や高速からの制動能力、安全ボディといった「パフォーマンス」よりも、悪路を走破しても壊れない足回り、10万キロノーメンテナンスに耐えうるエンジンとブレーキという「経済性」だったのではないかと思われる節があります。

考えてみれば日本人というのは「釣った魚にえさをやらない」という諺が示すとおり、車にしても家にしても、家電製品にしても「メンテナンスして長持ちさせる」という発想は少ないです。基本的に壊れないのが当たり前、壊れたらクレーム。メンテナンスでお金をかけなければいけなくなると逆上するといった風潮を持ってます。そして安全に対してとてもルーズ。シートベルトはもちろん、チャイルドシート着用の意識が低い上、飲酒運転すらも許してしまう風潮。そう考えると日本車が高い完成度を持ちつつも、高速性能や安全性能が劣っていたのは致し方ないのかもしれません。

とはいえ、結果的にトヨタが世界一の車メーカーになっているので、日本車といったものが世界で受け入れられているのは厳然たる事実です。まあそれがいいかどうかはともかく。