書評「トヨタの闇」

近所の本屋に「問題の書!」と平積みしてあったので思わず買ってしまいました。

この本を読んで思い出したのは中学校の倫理の授業。
トヨタの闇
トヨタの闇

私の進んだ中学は中高一貫のいわゆる進学校。厳しい受験戦争を勝ち抜いて入るところ、と一般的にされてたところです。実際中学受験に備えて私も小学4年生から進学塾に通いはじめました。その進学塾は「スパルタ教育」をモットーに多くの宿題を課し、毎日5時間勉強しないとこなせないほど。やってこなかった生徒には叱責、往復ビンタの体罰を加える恐怖政治を行っていました。今の世の中であれば受け入れがたいのですが当時は結構どこもそんなもので、ねじりハチマキに「必勝」の文字、「他の生徒は敵だ!」、「やるかやられるか!」「勉強できない奴はクズ」みたいなのが普通で、まさに受験戦争が加熱していた時代でした。

そんな中で入った中学の最初の倫理の授業で、担当していた校長先生がいきなりこう言うのです。

「車のペダルには遊びが作ってある」

免許もなければ、車を運転したこともない中学一年生にいう例え話としては、ふさわしいとは思わなかったのですが、話はこうです。

ペダルには遊びがあって、ちょっとペダルに触れても動作しないようになっている。もしこの遊びがなかったら車がギクシャク動いてしまって、とても運転しにくい。

君たちも今まで受験戦争で勉強ばかりしてきたと思うが、人間は勉強ばかりではいけない。遊びが大切だ。

進学校なのに、勉強はほどほどにして遊べ、というのですからびっくりしました。それまでは勉強さえしていればなんでも許される、勉強しない、できない奴はクズ、遊びなんてとんでもない、悪だという世界だったので目から鱗です。

「トヨタの闇」に出てくる話はこれに近いです。残業にインフォーマル活動という名の仕事。dankogaiさん風にいえば s/勉強/仕事/g といったところで、受験戦争ならぬ売上げ戦争で仕事ばかりしていればよく、仕事ができないやつはクズだ、という風潮。

しかしこの校長倫理の話に照らし合わせれば自明で、人間仕事ばかりじゃダメなんですね。人間性も失われるし、色々ギクシャクしてしまう。

トヨタはクルマメーカーなのですから、仕事でもペダル同様「遊び」を作ったらどうでしょう。無駄を省く、遊びをなくせばいい、という今のトヨタ流はいつか必ず崩壊すると思います。