石原慎太郎とブロガーが議論(5)

まだ書くのか、という意見もございましょうが、選挙が終わったこれからが本番です。

参加されたブロガーの方も選挙が終わり、ポツリポツリと語り始めています。ブロガーは遵法意識が高いことからやはり選挙期間中はエントリーを自粛していたようですね。またメディアなど既得権益者との対立構造を理解しているので、その内容記述も依然慎重です。さらにいうと政治利用という思惑に対して、エントリーしないという選択をしている人もいるのではないでしょうか。

石原慎太郎とブロガーが交流

私も従来は報道の中立性を保つためにあえて感想、私見などを省略していたのですが、今回は感想をメインに。

・石原慎太郎の印象

当初はTVなどの印象で、タグづけするなら

「頑固」「無愛想」「強い」「怒る」「偉そう」「(上から)見下す」

といった言葉で、正直怒られるんじゃないかってびくびくしながら行ったのですよ。登場はうやうやしく、上手から

(司会)「それでは石原都知事の入場でございます」ジャーン

みたいなものを予想していたのに、下手から入るなり

「これはなんの種族の集まりだい?」

ですから、拍子抜けとはこのことです。

で話はというと長い長い。富士深いの樹海をさまような話に、一体いまどこにいるのか見失うわけですが、きちんと出口に戻ってくるのですね。まあその長さに多少辟易するわけですが、まつゆうの

石原慎太郎都知事に会ってきました!

政治家の選挙演説を聞いているのではなくどちらかというと、面白いおじいちゃんと飲み屋で話してる。というイメージに近かったです。トーク中にも、略して『いししん』ですね。と言われたら 『おれは「しんちゃん」って呼んでほしいな』 とか言っていました。上の写真でもわかる通り陽気なおじいちゃん。

とあるように、印象はまったく同じ。

隣に居合わせた話のながいオヤジがクダ巻いている

風でしたね。こちらから話が出来ないところなんて、まさにそう。でも話が面白いからそれでも良かったわけです。さらに当初の予定を10分以上オーバーしても、なおも何か話し続けようとする姿勢、しかもその主旨は「君たちに色々教えて欲しい」という言葉に表れていて、これはおそらく本心でしょう。

イベントが終わった後にタグ付けをするなら、

「芸術家」「文筆家」「話長い」「面白い」「オヤジ」「飲み屋」

といったところでしょう。では事前の先入観念タグ、

「頑固」「無愛想」「強い」「怒る」「偉そう」「(上から)見下す」

はどうかというと、これが消えるわけではないです。というのはこのタグはオヤジ世代に共通するタグでもあるからです。自分の父は今年70歳、ほぼ同じ世代です。父にタグづけしても同じものを付けられます。

「頑固」オヤジは本来頑固なものです。
「無愛想」基本的に大人は子供にへつらいません。
「強い」オヤジは大黒柱。強くあるべきです。
「怒る」なんでもすぐに怒ります。巨人が負けても怒ってます。理不尽ですけどそういうもんです。
「偉そう」オヤジは尊敬したいものです。実際偉いかどうかはともかく、偉そうであることもオヤジであることの重要な要素です。
「見下す」人生の先輩ですからね、人を見下すというか、上から物を言うのは当然です。

子供のころ、よく怒られ、殴られ、泣きながら食事したことを思い出します。巨人が負けた日、または負けそうな日は近寄らない方がいいことを学習しました。これは世代的にそんなものかと。

では今の父はというと、もう孫にデレデレ。食事作法や社会性を重んじて厳しかった親がなんで孫にはあんなにも甘いのでしょう、というくらい牙が抜かれてしまいました。おそらく石原慎太郎も孫にはデレデレじゃないでしょうか。そりゃそうです、もう立派なおじいちゃんですから。

結局どうしてこんなギャップが生まれるかというと、メディアがすべてを伝えないからですね。人間なんて両面性があるのは当然なのに、選択して片面しか伝えない。ではなぜ選択するかというと、そこになんらかの恣意的な思惑があるからではないでしょうか。それは別エントリーで前述したように、「シナリオに合う俳優を求める」といったものです。ヒールはあくまでもヒールに徹してもらわないといけないのですから、それ以外のヒューマニズムを排除するわけです。

これはメディアの基本姿勢に問題があるといわざるを得ません。挑発的な質問、言い直しを許さない言葉狩り。基本的に相手を信頼しない、疑ってかかる姿勢、つまり敵として臨むので、インタビューを対立構造、「戦いの場」にしてしまう。

一方の石原慎太郎はというと、戦いの場に臨む大人の男が軟弱なわけがありません。常にコンバティブで、相手(メディア)を叩きのめそうとします。なぜなら男にとって戦いは必ず勝たなければいけないからです。その戦いの情景のみがTVで放送され、新聞に掲載されるのでくだんのタグになってしまうわけです。

ですから今回石原選挙事務所が狙った、

実際の石原慎太郎を伝えたい、知って欲しい

という点についていえば、これは大成功といっていいと思います。だからこそ、選挙運動期間というセンシティブな時期ではなく、普段からこういったイベントをどしどしやって欲しいものです。これは石原慎太郎に限らず、他の候補者、他の選挙でも同様です。そうでないとせっかくのブログネタなのに、気軽に自由に思いっきり書くことができませんから。

それにしても実際の石原慎太郎が

飲み屋でクダ巻いているオヤジ

だったとは、新鮮で驚きでした。一緒に飲みに行きたいものです。