ワールドカップサッカーに想う

日本代表の対オーストラリア戦を観ました。結果からいうと3-1の敗戦だったわけですが、その後感じたこと。

どこの国が強いとか弱いとか正直分かりません。オーストラリアが強いのかどうかも分かりませんが、とりあえずブラジルは強そうだという位の知識レベルで見てますと、途中までは良い試合をしていたと思います。最後の悪夢の9分間ですが、これも私としては「正夢」の9分間という感じがして、ある意味予想内の出来事でした。でも3点目入れられるとさすがに凹みますが。

なぜかというと試合開始で30度を超える猛暑、日本人がそんな暑いところを走り回って体力がもつのかな、という疑問があったわけです。技能や集中力や気合いの問題ではなく、純粋に身体能力の平均レベルの問題です。

また身体でいえば身長。バスケットボールやバレーボールもそうですが、ボクシングや柔道にはある体重分け、クラス分けが無い点。身長が高い相手にヘッディングでボールをとっていかなければならないビハインドはさらに体力を消耗することでしょうし、反則も誘発します。

つまりサッカーの身体能力として、日本民族は他の民族に優れていません。

次にサッカーが強い国と国の経済力は必ずしも比例しません。先進国がサッカー強いわけではなく、BRICSなどが強いようです。私の中南米経験はcosta ricaしかありませんが、驚いたのは豊かな国ではないその国の広場には必ず、ネットがついてないサッカーゴールがあったことです。スポーツといえばサッカーなわけで、子供は全員サッカーをすることが容易に想像がつきます。サッカーの良い点は1個のボールで22人が遊べるというコストの安さです。子供のサッカーといえば全員がボールめがけてボールを奪い合うだけのゲームです。おそらくマイボールを持てる子供は少ないのでしょう。ボールをもった時だけ自分のボールになるわけですから、その奪い合いたるや凄まじいものになります。そんな中で驚異のボールコントロール技術が身に付いていっても不思議はありません。そんな選手、国を相手に戦うわけですから高校野球とプロ野球くらいの差があっても仕方ないわけです。

それでも世界で戦いたい、勝ちたいという意欲は日本を代表すると書く「日本代表」にはあるわけです。またサッカーワールドカップがこれだけ一般的になった現在では国民も期待するわけですね。つい数十年前まで顔に日の丸をペイントするなんて考えられなかった日本なのに、国歌国旗法案ですったもんだする日本なのにこの期間だけは毎日が祝日、国旗掲揚せよってなもんです。日本中がサッカーでナショナリストに変貌するわけです。

不思議なものでオーストラリア戦で負けるとほどなく、メディアでは責任者探しが始まります。選手のプレイ、ジーコ監督の采配はもちろん、ジーコ監督を推した川淵会長まで進退を問われます。なぜなんでしょう。日本代表は日本を代表して行っている選手であり、代表監督は日本を代表する監督なんです。代表とは自分たちの成り代わり、つまり自分たちの代わりにサッカーをしにいってくれている人たちなので、その人たちを信頼、応援するのが一般民衆の役割ではないかと思う訳です。ここで突然あなたと私は違う、お前のせいだ、になってしまうわけです。本当のナショナリズムであれば、そんなに簡単には切り離せないはずで、あなたの責任は私の責任。恥ずかしいプレーならともかく、日本民族として全力を尽くして力及ばなかったわけだから「よく頑張った」でいいのではないかと思う訳です。ですから責任者探しをしているメディアは精神が非国民、または売国奴かと。そこに愛国精神はないのでしょう。

愛国精神の元は家族を愛する心です。家族を愛し、親を敬うのが基本。教育勅語の12の徳目の中の「孝行」「友愛」「夫婦の和」などにもあります。教育勅語ではネガティブなところばかりクローズアップされ、とりあげること自体が批判の対象となるようですが、そういう風潮によって中に含まれる上記のような徳目すらも遺棄されてしまう傾向があるのは嘆かわしいばかりです。

サッカーに戻ると、これは私見ですが残念ながら日本代表がワールドカップで優勝するのはよほどの奇跡がない限り無いと思います。いや、サッカーなのであるかも知れません。しかし身体能力、恵まれすぎた環境、国民性どれをとっても日本代表が世界一を後押しする要素がないからです。簡単にいうと日本人にサッカーは向いてない、といっても良いでしょう。野球は世界一になりました。これは野球が経済力を要する事や、バット、スパイク、グラブなど機材の善し悪しで差がつくことなども無関係ではありません。またセットプレーという間合いは武道にも似ており、日本人の精神性にもマッチします。9回裏2アウトフルベース、ツースリー、一打逆転という緊迫感は宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘のようでもあるわけです。

私は勝負に勝つのが好きです。負ける勝負は好みません。ですから日本人が世界で戦って勝つことができる競技で頑張ってほしいです。その点、F1は望みがあります。近代F1はドライバーの力は全体のうちのほんの僅かな要因でしかなく、他の多くはマシンの開発やチームワークから成り立っています。ビジネス側面も含めて考えると大きなプロジェクトマネジメントです。佐藤琢磨がルノーに乗れば表彰台は間違いなく、アロンソがスーパーアグリに乗ればどんなに頑張ってもポイント圏内には入れないでしょう。つまり速い車を作ったもん勝ち、なところがあるわけです。今年HONDAやTOYOTAが苦戦していますが、これはドライバーのせいではなく、単純に車が優れてないからです。そして速い車を作るには才能をもったエンジニア、チームとお金が必要です。日本人はプロジェクトXからも分かるように、優れた機械を作るエンジニアや、チームを作るのが得意です。だからHONDAは過去2回の黄金期を作れたわけですね。しかし今回は苦戦しています。オールHONDAになってまだ1年目、勝負はこれからです。あとは継続だけですが、F1を継続させるだけのスポーツカー人気が盛り上がらない日本にちょっと杞憂があります。HONDAがF1で優勝することは、サッカー日本代表がワールドカップで優勝する位盛り上がってほしいものですね。まあそれには4年に一度くらいにした方がいいんでしょうか。

日本でのサッカーの歴史は他の国に比べれば始まったばかりのようなものです。今後の試合、特にブラジル相手にどんな意地を見せてくれるか。それを楽しみに応援します。頑張れ日本。