「日本の父へ再び」グスタフ・フォス著

アマゾンのマーケットプレイスから早速本が届きました。本の程度は悪くなく、古本ではなくどうやら売れ残りのようです。
日本の父へ再び

前著の日本の父へ新潮文庫 ふ 9-1 グスタフ・フォスよりも、10年ほどあとに書かれているのもあり、より現代的になっています。また前著ではふれられていなかった戦後の学校創設のエピソードなどが詳しく書かれており、興味深いです。

著者グスタフ・フォス氏は戦前6年ほど日本にいて、日本語と東洋史について勉強しています。ですから戦前と戦後の日本を比べることが出来ています。学校予定地としてアメリカ軍から与えられた土地・施設の荒廃ぶりを見て、愕然とします。しかしアメリカ軍大佐と話し、一晩考えて、日本人のための日本の教育をするために学校を作る使命を受ける決心をしました。

ここで興味深いのは、キリスト教会(イエズス会)が、占領軍であるアメリカから「教育に関する占領政策」として学校を作ってくれとオファーを受けていた点です。

「占領軍の支配の下にできる学校が、オキュペイション・ベビー(占領児)にならないように、ということである(p.14)」

日本の復興のためには日本人自身が自らの力でやりとげるしかない。それには教育が決め手であるというのです。そしてそれをなしえる最良の手段が、日本人に任せるわけでもなく、アメリカ自身が直接行うわけではなく、ドイツ人神父に任されたわけです。

もうひとつ、大きなエピソードを取り上げるとすると、最終章の「横須賀に流れた君が代」です。

昭和24年の4月に、高松宮及び同妃殿下が、米海軍横須賀基地ご訪問の際、私が校長をしていた栄光学園にもお立ち寄りくださった。その日、私は国旗をかかげ、簡単な式典の中で、生徒に国歌を歌わせた。昭和22年には、皇居、国会議事堂、最高裁、首相官邸に、翌23年に国民の祝日に一般の国民が国旗をかかげることが許されたばかりである。学校での国旗掲揚と国歌斉唱は、戦後おそらく初めてであっただろう。実は、宮殿下は、かかげた国旗をごらんになられて、「校長先生、米海軍のデッカー大佐もいらっしゃると聞いています。こんなことをして、大丈夫ですか」とご心配下さった。「ご安心下さい。学校には国旗がなかったので、米軍基地で作ってくれたのです。米海軍が」 p.228より

いかに国の誇り、母国への愛を理解していたかが推し量られます。そして30年後デッカー氏とフォス氏が再会したとき、日本では未だに国旗掲揚や国歌斉唱を学校で出来ない、しにくい現状を聞き、デッカー氏はこういいます。

「やはり、日本の民主主義が早く大人になるようにお祈りするほかはないね」

まだまだのようです。しかし、このような思慮深い言動、行動ができるのは、背景に宗教心があるからでしょうか。深いなあ。

前エントリー:
のまのしわざ: 「日本の父へ」グスタフ・フォス著