高校卒業後、1年のサバティカルを経てようやく進路が決まりました。まさかの自動車大学校、自動車整備士の資格を取る専門学校への進学です。
受験勉強
野間家では受験勉強に対して積極的ではありませんでした。いやむしろ消極的、反対派だったといってもいいくらい。自分自身が70-80年代の受験戦争時代に中学受験を経験し、色々なものを失った経験があったからです。勉強が好きならやっていいけど、嫌ならやる必要がない、それが受験勉強だと思ってました。
だから息子が中学進学時に回りの子が中学受験するのを横目に見ながら、ほぼエスカレーターで入れる中学だったので、そのまま何もすることなく中学へ進学。ただ困ったのが高校受験でした。
高校はさすがに受験する必要があります。ただ行きたい高校がないし、そもそも興味がない。それが中三の11月頃に学校見学に行った都立高校、これがいたく気に入って突然「そこに入りたい」と言い出すものの、親としてはまさか11月から受験勉強して入れるほど甘くはないだろうと、タカをくくっていました。
この時は3カ月間だけ死ぬほど勉強したらしく、蓋をあけたらなんとまさかの合格。バラ色の高校生活のスタートです。
闇に落ちた高校生活
最初の10カ月、ニュージーランド留学までは毎日が楽しそうで、勉強もそれなりにやっていたようでした。ところがその生活が一変したのがコロナ渦。
ニュージーランドに出発はできたものの、いきなりロックダウン。高校も当然休校で毎日川を眺めて生活していたそう。それでも11カ月後に戻ってきて高校生活復帰のはずでした。
1年スライド(留年)したことによりクラスメートは一変。そして雰囲気も一変。それまでもっていたお祭り的な雰囲気がすっかりなくなってしまったのでした。
これはPTA広報委員をやっていた私も強く感じるところで、クラスタを避けるために入学式は中止、体育祭などのイベントも遠足も中止。昼食も個食でおしゃべり禁止。人とコミュニケーションを取らせない徹底した指導は友人関係を作ることもできず、特にクラス全体、学年全体での大きなムーブメントを作ることができなくなりました。
もともとそういう大きなムーブメントに惹かれて入った息子はこの高校生活に大きく幻滅、別にいじめられているわけでもないけどほとんど登校拒否状態となり、目は死んだ状態。
勉強したくなければしなくていいし、学校に行きたくなければ行かなければいい、なぜなら高校は義務教育ではないから。自らの意思で行くところだから、意思がなければいかなくていいと思っているものの、そんな惰性と時間を無駄にしていく姿に親としては焦燥感と苛立ちを覚えます。苛立ちはもちろん息子だけにではなく、そんな様相を作っていった学校、教育者とも呼べない都立職員にも向かいます。その都立職員の話はまた今度にしてと。
色々あって男子の友人も皆無、孤立していたようですが幸い3年になってクラス替えでそこそこ仲のいいグループができたようです。
進学塾にいく
回りの影響か、進学塾に行きたいと言い出します。でも別に行きたい大学も学科すらない状態。そんなんで、どうするの? というのも今時の受験は先鋭化が進み、志望大学・学科を決めてその傾向と対策をしっかりするというものになっているからです。昔みたいにとにかく全教科勉強して、成績だしておけば上から受けてってどこかにひっかかるでしょ、みたいな全方位戦略ではなく、個別撃破なのです。
これには受験システムの複雑化があげられます。教科数だけではなく、さまざまな資格によって配点が変わり有利不利が生まれることに。正直理解するのは難しく、これは専門の進学塾の指導が必要不可欠。
行きたい学科も大学もない息子にこれは向かないし、そもそも受験勉強も嫌い。進学塾の指導教員に圧をかけられるのもイヤ。ということで予想通りお金を払ったものの、学習塾にはいかずじまい。おいこら、カネ返せ、もったいない。
2学期になっても志望校が決まらず、挙句に模試の申し込みは忘れるし、模試に申し込めても志望校のマークミスをして評価がでてこない、マークミスした志望校はどこかときくと、「覚えてない」とか言い出すしまつ、なんだそれ。
それでもまだ受験はするつもりらしく、追加で塾の講座をとるという。ホントに行くよな、と念を押してお金を塾に振り込むが・・・
年末から色々プライベートで一悶着あって勉強は皆無、塾にもまったくいかずじまい。おい、カネ返せ、もったいない。
とにかく以前申し込んだ共通テストと、私立大学2学科に受験するも見事に不合格。まあそりゃそうだ、というかそんな状態で受かってしまったら他の受験生に申し訳ない。
浪人改め、家事手伝い
予想通り浪人生活に突入するも、これまた1年前に逆戻り。ようは志望大学、学科を決めなきゃいけないのだ。しかしこの期に及んでも決まらない、合格した友人たちは大学にいくというのに。
4月以降どうするのかときくと、自宅で受験勉強するという。そんな言葉、信じられるわけない。だって基本受験勉強が嫌い、いや大嫌いなのだから。
じゃあ塾に入るかというと、いまどきフルで塾にいくと1年で100万円以上かかるのは当たり前。にもかかわらず行かないとまさにドブにカネを捨てるわけで、親がイヤな思いをたくさんしながら稼いだお金をなんだと思っている、親もキレるわけですよ。
キレた挙句、受験勉強禁止にした。
ようはどうせ目標も何もないわけだから、この1年間は社会勉強をしながら自分の将来やりたいこと、そして志望校、学科を見つけろと。社会勉強とはアルバイトで、一切受験勉強はしなくていい、とした。ただ志望校、学科を決める期限は12月。
4月からアルバイト先を探しはじめ、5月からスタート。6月から2カ月間北海道に渡りキャンプ場で住み込みバイト。8月に戻ってきてまた近場でアルバイトを開始、月から金までのフルタイムで働いたので、ふと気づくとアルバイトではなく就職してた。え、扶養外れているじゃないか。
志望校が決まらない
毎日朝から晩までアルバイト三昧、お金を稼ぐ稼ぐ。目標100万円な、といったら本当にたまったらしい。そうして迎えた期限の12月、志望校、学科はどうなった?
「決まりません・・・」
な、なんだってーーーー!
これだけの時間を費やして、なんも決まらないのかよ! 大学に進学した友人と話したり、以前よりも多くの情報が入っているはずなのに。と思ったけど、結局進学した友人も確固たる信念をもって大学、学科を選んだわけではなく、とりあえず入れるところ、入れそうなところ、つぶしが効きそう、有名だから、という理由で進学しており、フラフラとしていたのであった。
これはもうこの世代の特有の傾向で、将来に希望もないし、やりたいこともない。でも苦労するのは嫌だから、そこそこの大学にいって、そこそこの企業に入って、そこそこのいい生活をしたいという、そこそこ志向の表れだった。
夢も希望もないのかよ!
ない、いっさいない。そりゃないよね、日本の未来将来に夢も希望もないんだから。じゃあ海外に行けばいいじゃないか、そのために英語、留学までしているんだから。でも海外志向をもつキラキラ系も一定数いるもののやはり少数派で、少なくとも息子はそうではなかった。
大学が決まらないのなら、行くこともない、就職を視野にいれてこんどは仕事探しとなるはずだった。
灯台もと暗し
そんな親の悩みをfacebookで愚痴ったら、友人から一言。
「自動車大学校なんていいんじゃない?」
自動車大学校? 専門学校か! しかも実家から歩いて20分のところに日本最大手の自動車大学校があった。学園祭にも行ったことがあったのをすっかり忘れてた。
早速息子にそれをいうと、乗り気に。
というのも実は北海道のバイトから帰ってきて
「オレ最近、クルマに興味がでてきたんだよね」
といい、ずっと中古車サイトでマニュアル車を探していたから。
「セリカとかいいよね」
といい、12月には富山の中古車屋に下見に行くほど、すっかりクルマ好きになっていたのだった。そのため自動車大学校の話をきくと早速学校説明会に申し込み見学。すると、
「いい、とてもいい。オレここにする」
あっさりと志望校が決まってしまった。え、家から一番近い学校が志望校になるのか。まさに青い鳥は近くにいたのであった。
PlanB
ただひとつ気がかかりな点があった。それはその自動車大学校は大手自動車メーカーの系列であったこと。組織化と分業、効率化が進んだそのメーカーはもちろん大学校もその影響が及んでおり、志望者の約半数は自動車好きではなく就職に有利、100%就職できるからという理由で進学しているという話を聞いていたからだ。
野間家の体質には合わないんじゃないかなあ、というのが一番の気がかり。そして他の大学校も見ずに決めていいのかという疑問。そこでPlanB、別の大学校に見学にいかせることに。当初息子は行くのを渋っていたが、面倒くさくても必ずいけ、と強制気味に。またその大学校のOBでメーカー務めの大先輩が強烈にプッシュしてくれたおかげで学校見学だけでなく、在校生とお話をする機会が得られた。
家からだと1時間以上かかる遠く離れた埼玉の地。学校見学のあとに感想をきくと、
「いい、とてもイイ。前の大学校と比較してもすべてがイイ」
施設や敷地など考えると前の大学校の方がいいと思うのだが、どこがいいのかときくと、「みんなクルマ好き、バイク好き」だという。また4輪だけではなく2輪もできるのも特徴。たしかに2輪ができる大学校は数少ないらしい。
結局このPlanBに決定、しかもOBの紹介で入試費用も無料になりオトクに。
PlanAの大学校は家から徒歩20分なので通えるが、PlanBの埼玉の大学校だとクルマで1時間以上、電車だと1時間半以上かかるので自然と寮に決定。多少お金はかさむが、限られた時間を有効に使えるし、なにより友人と濃密なコミュニケーションをとるのにはむしろいい環境である。
マイカー購入
志望校が決まった頃、突如中古車を買いに行くという。マニュアル車が現在価格高騰しており、どんなに安くても50万円以上、スポーツモデルは80万円からが相場となっている。
そんな中選んだクルマは、スズキKei、しかもワークスではないターボモデル。Bターボ、N1と呼ばれるもので、60馬力に抑えたマイルドターボ。チョイスが渋い。価格は30万円。
1年間のアルバイト生活のおかげでお金の価値を身体で覚えたため、無駄な背伸びはやめたのは大きい。もっとはやくお金の価値をわかってくれたらなあ、去年塾にお金払わずに済んだのになあ、多分Kei3台は買えた金額だし。
そんなことは今更言っても仕方なし、この1年で得られたお金でマイカーを購入し、しかもまだチューニング費用はとってあるのでブレーキ、タイヤホイール、サスペンション、ECUなどを交換していける、まさにゲームのグランツーリスモ状態。
受験に費やした日数は見学の2日間だけ、そしてバイトで得られたお金でマイカーをかって、自動車大学校に進学する。なんという効率的な1年になったことか。
親のバイアス
改めて考えると、知らず知らずのうちに高校から進学するのは大学しかない、と思い込んでいた。専門学校ももちろん存在するのは知っていたけど、イメージでは服飾や美容、声優やCGといったカルチャー系、トラベルやホテルといった専門職で、選択肢に入るとは思っていなかったのだ。
それもまさかの自動車系。
実は親はクルマバイク好きだが、息子はそこまで好きではなかった、と思う。クルマバイクはあくまでも運転が好きなのであって、メンテナンスはすべて親任せだし、クルマバイクの車種やスペックなど興味なさげであった。
ところが北海道のバイトにバイクで送り出し、向こうでクルマを使った生活をしているうちにクルマ好きが回りにいたこともあり、クルマに興味を覚えたらしい。そういう意味ではこの1年間の社会勉強は功を奏したといってもいいかもしれない。
それいらい毎日カーセンサーでクルマを調べるうちに親も知らないようなマイナー車種を出してきて驚かせてくれた。ただしスポーツモデルに限る、ミニバンなどはまったくの無視。
やはり受験勉強は不要だった
結果的には受験勉強などしなくても、やりたいことは見つかったし、進学先も決まった。お金もたまったし、マイカーも買えた。そしてそのマイカーで寮に入り、まだ免許ももってない友達を乗せて峠に走りに行っているという。なんだ、その昭和生活は。
あのとき自分がキレて「受験勉強禁止」と言い出したことが、岐路だったと思う。妻には当時随分と心配されたが、今では評価されているようだ。まあ諸刃の剣なので各家庭で使えるワザとは思えないけど、たまたま野間家ではワークしたということで。
楽しい学生生活を送れることを祈っています。