ゴジラ -1.0(マイナス・ワン) vs シン・ゴジラ

絶賛が渦巻くゴジラ最新作「ゴジラ -1.0(マイナス・ワン)」

監督も出演者もほとんど知らずに見に行ってしまったところ、いろいろと驚きました。結論からいうと私には合わなかった。

合わない理由を簡単にいうと、観客には2種類いて、

感情(移入、感動)を優先するタイプ vs 論理(つじつま)を優先するタイプ

で私は後者なのだが、このマイナスワンは完全に前者の作りになっていたから。また別の観点でいえば

くさい vs オタクっぽい

という言い方を岡田斗司夫がしていた。なお、シン・ゴジラは圧倒的に「オタクっぽい」作品で、その代わりに微に入り細に入り、設定されていてオタクも納得の出来栄えとなるが、一方で「ドラマ」という観点や「泣ける、感動する」という前者の要求には十分に応えられていない。

で絶賛の理由は感動した、これが見たかったゴジラだ、ハッピーエンドだなどの声が聞こえてくるが、オタクっぽいというかオタク気質の私としては細かいところが気になって、ドラマとか登場人物がぜんぶ上滑りしているような感覚である。リアリティがない。奥行がないというか、登場人物の気持ちもすべてセリフとして表現されているから、誰でもわかるし一意に解釈できるからズレがなくなるので、大衆受けするのは理解できるが、浅すぎてこれは中学受験の国語の試験問題にはなりえないほど、とも思う。

芝居のための作られたセリフなのだ。

結局のところ朝ドラの作りそのままなので、そもそも朝ドラが好きではないのでターゲットユーザーではないということなのだが。

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(以下 ネタバレあり)


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テーマは特攻?

新作「ゴジラ」映画なのだが、ゴジラは添えもの。特攻から逃げてきた主人公が、最後ゴジラに特攻するという矛盾。もちろん感動ものなので実際には特攻せず、死んだはずの同居の彼女も生き返ってきたのでハッピーエンドなのだが・・・この主人公の心情と行動が矛盾だらけなのだ。

そもそも特攻から逃げた理由は、親から死ぬなといわれて生きて帰ることを選択したから。これ自体は当時は非国民と糾弾されてもおかしくなく、実際となりのおばさんからは罵られている。ただ生き恥をさらしてでも行きたかった理由があったが、東京空襲で両親を亡くし失われた。つまり生きる価値がなくなった。

生きる価値がでてきたのは、同居の彼女と血のつながってない連れ子のおかげ。しかしその彼女が死ぬと、それもなくなる。ここではじめて主人公には「死ぬ覚悟」ができた。だからこそ汚い手を使って、整備士を怒らせてでも呼び寄せている。まあ普通に考えて殺されても仕方ないようなことをしているにもかかわらずだが、この時点では彼にとって生死はどうでもいいのだ。

だからこそ、最後の最後に特攻をすべきなのだが、軟弱脚本はもう最初っから脱出前提で話を作っている。え、どうして?生きる意味も目的も失った主人公を生かしてどうするの? だって死ぬ覚悟で彼はこの無謀な作戦に参加しているのに。

もちろん脱出前提というのは後から実はね、という回想シーンで明かされるので観客は死を覚悟して特攻しにいった、と思ってみている。でも実際にはそうじゃない。主人公の行動と覚悟のギャップがでてしまい、感動をさせるために観客へ嘘をついている。実に不誠実だと思った。

実際に生還してみると電報が届いて、いや同居の彼女生きてたよ、よかったね、万々歳、感動した~

じゃねーよ。ずっこけたよ。

あのね、一度死んだ人間をよみがえらせちゃいけないよ。それはここ昨今の映画の特徴で、特に新海誠監督映画にありがちなんだけど、これは戦争映画なんだよね。戦争映画は生死がシビアなので、ドラゴンボールみたいなことしちゃいけないんだよ。だからリアリティがなくなる。

戦争映画なの?

戦後のゼロからマイナスワンとうたっているだけに、2回敗戦したとしているから、ゴジラ戦は戦後の戦争なことは自明。なんだけど、これまた困るのが、GHQも政府も動けないので民間がボランティアで作戦しますよー、というところ。

いやちょっとまてーい。

作戦自体も素人まるだし、学術性もなくまったく場当たり的。だから当然失敗して結局は全部主人公の特攻だのみというのが最初から観客に丸わかり。最初から勝てる見込みがない作戦を、場の雰囲気とノリでうぇーい!って遂行しちゃう。

だから戦争に負けたんだよ。わかる、わかっている?

対ゴジラ戦は戦争なんだよ。この戦争にまけたらマイナスワン、2度めの敗戦になるんだよ。勝てる作戦考えようよ。

結局なんで物語がそうなるのか、そしてこの映画がどうしてこういう作りになっているのか。それはこれが商業映画として「感動」を売りにしているから。つまり感動させることを目的に逆算で作られている。

ラストで感動をさせるには、その前にはこうなってああなってと、ぜんぶ最後から作られているからだ。感動させるという意味では非常によくできている。

しかしこれは戦争映画でもある。戦争で人の生き死にというのは厳然とした現実、リアルであり、そこに付随するロジックは正確なものでなければリアリティが出せない。初代ゴジラは単なる娯楽、商業映画という側面とは別に、戦後時代に、そして原爆を投下されて被ばくした日本の現実、そして核兵器というパワーバランスによる抑止力は、新しい強大な兵器の登場の前では危うい存在であることを明確に指摘している。つまり物語でありながら、当時の世界情勢をきちんと反映した上で、問題提起をしているのだ。

シン・ゴジラはまさにそこに取り組んでおり、いまここで未曾有の怪獣が出現したら、日本国はどう立ち向かったらいいのか、を描いた。感情の抑揚がなく、淡々と進む会議はドラマチックではないリアリティがあり、作戦にリアルさを求めた。

本当にその意味でいえばまったく真逆の映画がマイナス・ワンとなる。

日本人はまだ戦争を総括できていない

最悪だと思うのは、この映画も結局宇宙戦艦ヤマトであり、風の谷のナウシカなのだ。日本人が感動できるラストシーンを見せるためだけにできている。そのため表面上特攻を否定しつつも、見事に特攻を暗に肯定化してしまっているのが最大の問題なのだ。

「戦争は数だよ兄貴ィ」

とはガンダムのドズルの名セリフである。日本はなぜアメリカに敗戦したのか。数だよ、物量だよ。工業国としての生産力の違いに加えて、その品質も段違いに及ばなかった、当時は。これをきちんと認めなきゃいけない。

一番いけないのは「一撃必殺」「少数精鋭」という言葉であり、これは特攻につながる最悪のロジックである。散りゆく命は美しい、と日本人は知っている。だから感動を呼ぶ。高校野球で熱い中連投し身体を壊していくのを、悠然と見てられるのもこのロジックだからだ。一人のエースが連投していいわけがない。いつ壊れるか、いつ壊れるか、それを期待してまっている。末恐ろしい。

そんなドズルも最後はビグ・ザムを自ら率いて特攻である。これは司令官としては「戦いは数だよ」と知りつつも、一人の武将、武士として一矢報いて散るための行動である。いってしまえば無駄死にである。ガンダムの場合、ビグ・ザムを破壊され、それでもなおかつマシンガンをもってガンダムに立ち向かうドズルに対し、アムロが畏怖する姿が描かれている。

これが大切なのだ。いかに特攻は無駄か、意味がないのか。これを本当に知らしめなければならないのに、そのガンダムから40年以上がたってもこれかよ、という徒労感。

戦争はやっちゃいけないものではなく、勝たなければいけないもの

日本人がいう「戦争反対」とか「戦争はしてはならない」というのは、根本的にはこの太平洋戦争での敗戦と、その後のGHQによる占領がトラウマになっている。それまでは戦争とはしていいものであったからだ。太平洋戦争は軍部の暴走、とかいっているが、実際には世論が後押し、いやむしろ牽引して戦争をさせたといっても過言ではない。戦争をはじめたのは国民の意思なのだ。

軍人は現実主義者なので、戦争をはじめて勝てるかどうかは分かっている。勝てないのに戦争する軍人はいない。軍人は自分の命以上に部下の命を大切に思っているからだ。わが子同様に育てた部下が無駄死にするのなんて、普通の軍人には耐えられない。

日本人に限らずであるが、戦争とは敗戦処理が大切だ。つまり引き際である。損切でもいい。

勝ってやめられるのが最高であるが、勝てていない状態であっても適切なときにやめられないと結局は敗戦へと向かう。ウクライナ戦争しかり、ベトナム戦争しかり。

日本人が開戦を後押ししたのは、それまでの戦争に日本はすべて勝っている、つまり戦争をすれば勝つと、意味もなく信じていたのだ。むしろ負けることがある、負けた場合はどうなるか想像したこともない、というのが実際のところ。そして戦争とは国外で行われるものであり、まさか自分の身に不利益がふりかかる、ましてや肉親、親兄弟が失われるなんて思ってもいなかった。

だから戦争をもしはじめるなら、勝つために万全の準備をした上でなければはじめてはならない。逆に攻め込まれたのなら、もう防戦するしかないが、ここでもどう退くかが大事である。本土決戦とか、玉砕とか言っている場合じゃない。

沖縄戦がダメだったのは、もうその時点で敗戦なのに敗戦処理に向かわなかったこと。戦艦大和を向かわせてどうなるもんでもない、というのは軍人全員が分かっていたことだ。そもそも大和級は航空機時代には時代遅れになった大型戦艦であり、それが故に信濃は戦艦から空母に計画転換しているわけである。わかってないわけがない。

だから航空機がうようよいる沖縄に向かっていくのは犬死にするのが分かっているわけで、もしかしたらなんかいいことあるかも?なんていきあたりばったりなのは作戦とは言わない。完全にこれは天皇のお気持ち采配だけで、だから

戦争に負けたんだよ。

そしてマイナス・ワンが絶賛されるのをみて、次戦争することがあったら、やはり勝てないとも思う。精鋭でもない民間人が少数で、浅い洞察だけで作ったデタラメ作戦と死ぬ覚悟のない特攻でゴジラをなんとかできるわけないでしょ。

でもなあ、これがうける。日本人にひびく。シン・ゴジラよりも。その事実がまたショックなのだ。

また戦争にまけるぞ、というのが今回最大の感想。

p.s.
震電とかももう出したかっただけでしょ、蓋然性がなくて全然ダメなんだが、まあそこは上記の前には本当に枝葉末節。