港区女子のロールモデルとなった美少女戦士セーラームーン

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たまたまセーラームーンのミュージカルを見たことで、今回セーラームーンの原作漫画を読破。色々な発見があったのでまとめてみます。

セーラームーンの舞台は港区を中心とした徒歩圏内

太陽系、ひいては銀河系まで物語は広がりましたが、実は事件はすべて港区、麻布十番商店街を中心に徒歩圏内で起きています。一番遠くて天王洲に隣接する無限洲でこちらは品川区ですが、それでも5kmほどの距離。

そのため出てくる中学、高校、大学も港区ばかり。T・A女学院は東洋英和、元麻布高校はもちろん麻布高校、そしてKO大学は慶応大学、側には三田キャンパスといった具合。

連載が「なかよし」で、「りぼん」と並んで比較的若年層メインの少女漫画雑誌、ターゲットユーザーは中学生、小学生ということを考えると徒歩移動というのはある意味リーズナブルなのですけど、それ以上に重要な意味をこれは示しています。

いわゆる乗り物がてんで出てこないんですね。

セーラームーンは原作者が吐露しているように、企画意図は女性版ゴレンジャーだったわけです。ゴレンジャーといえば変身スーツや武器装備はもちろん、バイクを中心としたパーソナルモビリティと全体で移動できるバリドリーンといった高速移動手段、そして基地をもっています。

これに倣っているはずのセーラームーンは基地かろうじてゲームセンターの地下にもっており、呼び名もそのまま「司令室」、にもかかわらず乗り物がまったくない。

月や銀河の中心といった場所へ行きたければ、思うだけで自由に行き来できるのです。さらには30世紀の未来へもいくことができるんです。

現実世界の事件はすべて徒歩圏内でおきているので確かに不要なのですが、これがセーラームーンの時空意識を端的にあらわしています。

男性にとって時空は絶対であり、変えられないし超えられないものととらえられていますが、女性にとって世界の中心は自分であり、時空ってのは相対的な回りにあるものであり、意識次第ということですね。で、その世界は徒歩圏内なわけですよ。悪くいえば視界が狭い。

たとえば宇宙戦艦ヤマトではイスカンダルにいくのにそれこそすごく苦労して、オーバーテクノロジを手に入れ、戦艦大和を改造し、ワープ航法を編み出し、波動砲を開発し、遠回りするのか近道するのか激論を交わしという描写が毎回描かれます。

しかし、もしこれがセーラームーンなら「イスカンダルへ行きましょう」、というコマに次にはもうイスカンダルになっているはず。そして、そこに手段や方法といった説明はまったくないでしょう。

必殺技の説明なし

必殺技についてもまったくその内容や描写も説明不足もいいところ。そもそも必殺技の名前の由来も不明だし、当然新技の習得の苦労という、努力と根性要素もありません。

まさに女性ならではの発想。そもそも「セーラー服美少女戦士」ってなんだよ。

そういうわけなので、なんでセーラー服が戦闘服になるのか、という説明もありません。あと機能性も特にないわけですよ。簡単に月だし、宇宙だし、おいおい、空気や重力はどうなったのよ、言葉の問題とかは、とかそんなの無視無視。まあ確かにいちいち説明していたら無粋なんだけど、それにしてもひどいです。

ファッションはセーラー服一択

それまでの変身もの、魔女っ子メグちゃんにしても、ミンキーモモ、クリーミーマミにしても女性は様々な職業やファッションに変身します。

ところがこのセーラームーンのエポックは、変身前も変身後もセーラー服の一択。様々なファッションを着こなすというこれまでの変身モノの常識を打ち破っています。休日の私服姿もなくはないですが、頻出度から考えて重要度は低いことが伺えます。

まるでスティーブ・ジョブスのようなワンパターン。女性=ファッション、という大筋を変えてまでも、女性が命をかけて戦う姿を描いています。

命が軽い

セーラームーンは戦い、いってしまえば戦争を描いているので、人が死にます。もちろん仲間も死にますし、そもそもセーラームーン自身も死のうとするんですが、命が軽い。なんでかというと輪廻転生が前提にあるから。

「生まれ変わったら一緒になろうね」といって心中するとか、「あなたがいない世界なんて、いきていけない」と衝動的に自殺するとかあるのですが、これか、自殺する女子の心は。いやこれ、小学生向けでしょ、その心理を描いて共感されちゃったらヤバいでしょう、と思うのですがこれが逆に共感を生むからこそ描けるわけですね。

女の子は全員光と影をもっている

その自殺ともつながるのですが、見事に心理に表と裏があるわけです。宝石、キラキラ光り輝く世界が大好きな女子ですが、その光が強ければ強いほど闇も深い。嫉妬、憎しみにまみれていてたとえそれば大好きな友人であっても、信頼しているはずの恋人でもあるわけです。小学生向けだったはずですよね、これ。

「ジャンプ」をはじめとする男性漫画ではもっとシンプルでいわゆるこの嫉妬、憎しみってのはあんまり強くないです。むしろドラゴンボールによくありそうな、努力、友情、勝利において嫉妬や憎しみというのは原動力になりえないんですね。表裏もないのが当然で、表裏があるとか、嘘をいうのは敵役でしかなく、その敵役であっても過ちに気付くと仲間になるというのが基本形です。

ところがセーラームーンの場合は、この嫉妬や憎しみが基本主人公側に起きるんですね。内面世界がいかにドロドロしているのか、光と影で構成されているかの証左。

タキシード仮面は高スペックだめんず

さあ女性ばかりのセーラームーンでひとり目立っているのがこのタキシード仮面・・・

といってもタキシードをきて、アイマスクをして変装をしているタダの人。いやむしろ変態。ピンチの時に現れるが、力をもたず、必殺技もなく、ただ相手の気をそらすことくらいしかせず、偉そうに「今だ」とか指示する役立たず。

役に立たないどころか、相手にとらわれて人質になったり、操り人形になってセーラームーンを苦しめること数回。挙句に病気におかされてもう、足手まといでしかないし、本人もその自覚あり。

結局セーラームーンにとっては大事な王子様で、そこにいてくれるだけでいい、いわば人形的な存在に成っているのが不憫としかいいようがない。

麻布なのに、慶応大学医学部なのに、はてはハーバード大学留学なのに。これを高スペックだめんずと言わずしてなんと呼ぶのでしょう。

そもそも自称「タキシード仮面」というネーミングセンスからだめんずを体現している。

男女観とLGBT

この漫画が含むLGBT描写は諸外国で議論を呼んだらしい。

特に男性なのに変身すると女性になってしまうセーラー戦士は複数人いてややこしい。しかも恋人同士とか、百合なのかバイなのか。答えはないのですが、とりあえずミュージカルではタキシード仮面を含め全員女性で構成されています。宝塚出身者がやっているのだから、まあそういう意味では本職です。

そんなわけでミュージカルを男性が見に行くと、不穏な空気に包まれた劇場に圧倒されるわけです。なんというかほんと「怖気づく」というのはこういうことかと。よかったおっさん二人でよかったよ、と。これが女子と同世代の男性だったらと思うと、まさに針のムシロに違いありません。

いわば女子校のノリなんでしょうけど、なんというか、とにかくこええ、なんですよ。女子が女子が好きというあの感覚。男役がカッコいいと思う気持ち。確かに妹も奥さんも女子校出身で、色々な話はきいていたので多少は情報があるわけですが、いざその空間に入ると、

「私の知らない世界観だ」

と思わされるんです。とにかく理解不能。共感不能。

で、それもまあ仕方ないんですよ。

結論からいうと、女性は異星人、なんです。同じ人類だとおもっていたのが間違い、ということです。

セーラームーンをはじめとするセーラー戦士は異星人の転生した姿、という設定ですが、これはあながち嘘じゃないなと思います。そもそも人類の中の女性が、異星人なのではないかという仮説です。これはまた別の機会に。

港区女子は戦う女性

かくしてセーラームーンは世代に熱狂をもって受け入れられました。また世界各国でも同様です。これは何を意味するのでしょう。

東京カレンダーの「港区女子」連載が人気です。美貌と若さを武器に自分を高く売りつける港区女子。あざとさとえげつなさで、世間を騒がしていますが、これはある意味セーラームーン世代のなれの果て。

【妖怪女ウォッチ】File14:港区女子|「マイナビウーマン」

戦いの舞台は銀河ではなく、港区のまま。世帯年収の平均が全国で400万円前後に対し、港区は1000万円。10人に一人が社長といわれる、日本で生粋の富裕層の街に「生まれ育った」純粋種は、まさにセーラームーン世代と一致します。

セーラームーンのもつ、キラキラと愛と嫉妬と憎悪。

これは夢物語ではなく、現実なのです。そして物語は銀河ではなく、港区でまた続いているのでしょうね、きっと。

迂闊に近づいちゃいけません。