体育、スポーツはほどほどに。学生の本分は学業にあり

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今回子供の中学受験して分かったことは、世の中体育、スポーツ偏重ではないかということ。

子供は初夏、バスケットに目覚めてミニバスケチームに入り毎週練習に励んでます。その励み方も多少力が入り過ぎていて、日曜日の丸一日の練習以外にも、週に数回、放課後行っているほど。

もともと黒子のバスケだ、スラムダンクだ、と漫画の影響もあるのでしょうけど、まあ本人が気に入ってやるのなら止めはしない、というスタンスで看過してきました。土曜日に通っていたテニススクールも年末でやめ、今はバスケ一筋です。

さて進学にあたり、今通っている小学校に付属する中学校はバレーボールが強く有名で、逆にバスケが部活にありません。それを知った子供は、バスケが部活にある中学への進学を希望します。

いや、ちょっと待て。

確かに中学校の部活にバレーボールがあり、それが強くて外部から受験する子たちの志望動機のほぼ100%は、そのバレーチームで活躍したい、というものです。ですからその逆に、うちの子がバスケの部活がある公立中学にいきたいと思うのも当然のことでしょう。

しかし、学生の本分はいうまでもなく学業であり、体育や部活を代表するスポーツはあくまでも「添え物」ではないかと私は思っていただけに、この風潮に疑問を感じたわけです。

体育は富国強兵策

そもそも体育とは、日本における教育が富国強兵のおり軍事教練を端に発し、兵学校に倣って作られた結果、健康な肉体を育成するためのもの。

体格が欧米に劣り、持久力や瞬発力、筋力がない日本人は戦争では不利なために、平均的かつ多量な兵隊を育成することを目的としています。

その影響は至る所でみてとれます。例えばグランドつきの学校。グランドでランニングしたり、ラジオ体操したりというのは日本ならでは。そのラジオ体操も軍事体操から来ているのも有名な話。そしてその体力育成の成果を発表する、運動会。運動会の時に打ち鳴らされる大砲の音。掲揚される国旗。これ、全部軍隊からきてます。その証拠に富士総合火力演習にいってみると、逆に余りにも運動会と同じシステムとなっていて、なんでこれ、戦車で運動会やっているの? と思うほど。大きな違いは空砲と実弾の違いでしょうか。

ニューヨークの学校はビルばかりで、いわゆるグラウンドというものはありません。体育、という授業があるのかも知りませんが、少なくとも運動会はないでしょう?

大学にいってまで、一般教養課程で体育があるのもおかしな話。高等教育、いわゆるインテリを要請するのが大学の役割にも関わらず、なぜ体育が必要なのか? それほどまでに、日本人が体格的、体力的に欧米に劣っていたから体力増進しなければならなかったのです。

しかし戦後70年。

食料事情もよくなり、欧米並みの食事をした結果、日本人の体格はメキメキと欧米並みになってきました。うちの子は12歳で身長160cm。バレーボールを志望して中学受験に来た子たちは170cmはザラです。体格の良し悪しでいえば、もう十分でしょう?

スポーツは健康にいい、という盲信からきているのでしょうか。スポーツに熱中することは「いいこと」とされている気がします。しかし私の考えではこの成長期に「やり過ぎる」ことの弊害は大きいと思います。まず一番の問題は怪我。

体育は常に危険が伴います。

やりすぎ注意

運動会の華、組体操は社会問題化するほど怪我や事故が多いものです。言うまでもなく、この組体操も軍隊由来。で、しかも軍隊ではあんなバカげた高いピラミッドなどやりません。なぜなら大切な兵隊が怪我してはいけないからです。

生徒、親、先生がでかいほうが凄いよね、とエスカレートした結果あんなに高くて危険なピラミッドがまかり通ってしまったわけです。騎馬戦とか棒倒しとかどんどんとなくなっていったのに。そういえばこの競技もまさに戦争をモチーフにしていますよね。高校時代、その名もズバリ「二百三高地」という競技もありました。

戦争はんたーい、と叫んでいる左翼はいますが、なかなか体育までに踏み込んだものはありません。軍事教練を端に発した体育こそ、まずは廃止すべきなのです。もはや学校教育で体育をする必要性など、ないのです。給食と体育、これこそ富国強兵策そのものですから。

スポーツもほどほどに

学校の体育は廃止したとして、各家庭で行うスポーツはある程度あったほうがいいでしょう。しかしそれが1週間に1度や2度、数時間ならいいですが、それが日曜日1日中とかいうのはどうでしょうね。プロ選手を目指しているならまだ分かります。それが生活に結び付くのですから。

しかし所詮はアマチュアスポーツどまり、というのなら、成長期である子供に対する影響は無視できません。走り過ぎれば膝が、テニスや野球なら投げすぎ、ふりすぎで肘を痛めます。接骨院や整形外科の患者は、高齢者の次にスポーツの怪我が多いといいます。接骨院の人いわく、

高齢者は基本給
スポーツの怪我は加給(ボーナス)

というほど。だから接骨院や整形外科は学校の側にオープンするのがいいそうです。

練習量が実力に比例するという幻想

スマホやゲームは1日1時間まで! と制限するのに、なぜ怪我の危険があるスポーツは無制限にやらせてしまうのでしょうか。理解に苦しみます。

私が通っていた中学・高校では部活は週に2回、時間も放課後で数時間と制限されていました。これは本業が学業であることからそれを阻害しない範囲で設定です。そしてその練習時間でも県大会レベル、全国レベルへといくチームが出ていたことから、練習時間が実力に比例するわけではないことが伺えます。

プロ野球の落合や、イチローも練習量と実力が比例するわけではない、怪我・故障の危険性を鑑みて効率的な練習を行うと聞きます。練習量が比例するのは怪我・故障の確率です。

いいから勉強しろ

子供に何がいいたいかというと、進路にしても、何にしても、学生の本分は学業であるから、スポーツはほどほどにして、勉強しなさい、ということです。

スポーツをやるにしろ、1日中ずっとやるのではなく、時間を決めて集中して、効率よく行いなさい、ということです。1週間に何回もやるものじゃありません。あともう一つの問題はスポーツはおうおうにして団体競技であるため、個人の裁量が効きにくいことですね。それが全体主義につながり、軍部の暴走につながります、でしょ。

異論・反論が多いことでしょうが、以上、スポーツをやらない、ずっと文化系できた親から、子への願い事でした。とりあえず、子はそのままバスケの部活のない、私立中学へと進学。将来バスケをやる時に走れる基礎体力をつけるため、陸上部に入るようです。