命のベルト「ライフベルト」を装着しよう

シートベルトという名前は改名すべき。言葉の響きが「シートに拘束するベルト」という感じになり、「面倒」「束縛されたくない」「窮屈」というイメージを喚起するからです。

一方「ライフベルト」はどうでしょう。命綱みたいなもので、命のベルト。ないと「命がいらない」「死にに行くようなもの」「自殺行為」というイメージになりませんか?

なぜライフベルトが必要か

ジェットコースターにベルトなしで乗りたがる人はいません。あれだけの速度でグルングルン振り回されるジェットコースターは危ない、という本来人間のもつ動物的本能、危険察知能力で「危ない」「怖い」と分かるからです。これが本能です。

ところがそれと同等以上の速度で運行する自動車、タクシー、さらにはバスとなるとその意識はめっきり希薄となります。窓と屋根がついているから安心?

車外放出の危険

たしかに自動車、タクシーやバスというものは基本室内です。しかしその外装は装甲車のような頑丈なものではなく、いわばテントやタープ同様、フレームを薄い鉄板で覆ったもの、と考えた方がよいでしょう。ぶつかれば布と同じくひしゃげるし、窓は割れ、ひずんだボディからはドアがひらき、隙間だらけになります。


(車外放出あり、閲覧注意)


高速道路での重大事故は、ライフベルトをしていない人間が車内のどこかに強く叩きつけられたり、放り出されて地面に叩きつけられてしまうことです。

簡単にいえば、ヘルメットをつけていない状態でバイクを二人乗りしているとでも考えて下さい。ぶつかったりこけたりして吹っ飛ばされた状態です。

理想的な状態でぶつかるわけがない

いまの自動車は安全性能が高くて、というふうに思っていても、あれは特定条件下での模擬試験ですから、リアルワールドでの様々な状況をカバーできているわけではありません。ましてやシートベルトをつけないで定員乗車する、とどうなるか。これはテストでもやっていないことです。

最近のミニバン、背高軽自動車に起因する危険性は横転です。吸収しきれなかった衝突エネルギーは車体を倒す、横転させることになり、より被害が甚大、かつ脱出が困難となります。

とにかくライフベルトをしよう

様々な事故でもっとも簡単で効果的なのはライフベルトです。これを厭うのはノーヘルでバイクに乗るようなもので、死と隣り合わせです。

特にお子さんを後部座席に転がしているような家庭がありますが、あれ、急ブレーキ&追突でフロントガラスを突き破って前に飛んでいき、アスファルトに頭から叩きつけられて死にますからね。

タクシーでも、乗合バスでもライフベルトをしよう

自家用車だけではなく、乗合でもライフベルトをするのが必要。高速バス、リムジンバス、高速走行するのにもかかわらず誰もライフベルトをしていませんね。プロが運転していようがいまいが、事故はいつ起きるか分かりません。2点式シートベルトであっても車外放出は免れるので、しておくのがいいに決まっています。

うちの子は?

極端なこというと、ひとの家庭はひとの家庭。よその家庭の中までズカズカ入っていって「ライフベルト閉めなきゃ死ぬでしょ!」とまで世話を焼くつもりもありません。

⇒ レカロスタート - のまのしわざ

うちの子は物心つく前からチャイルドシートを装着、全員のライフベルト装着が終わらないと車両を発進させないというポリシーで運用していたところ、幼稚園のころにはライフベルトをするのは当然、生意気にも人にライフベルト装着を注意するまでに至りました。教育と慣習のたまものです。もちろん、乗合にのってもライフベルトは欠かしません

これには理由もあって、一度くらい安全な場所で20km/hくらいからABSがきくくらいのフルブレーキを体験させたことがあります。たったこれだけでも衝撃は相当で、ライフベルトがないと身体が支えきれないことを理解したからでしょう。「(ライフベルト)外してやってみる?」ときいても「絶対ヤダ」が答えでした。

20km/hでこれだから、普段出している60km/hや高速道路の100km/hは想像に難くないです。

本能を大切に

危険か危険じゃないか、って最終的には「本能」で判断する領域だと思うのです。危険察知能力というか。世の中「安全」ばかりもてはやされて、そのセンサーが鈍っちゃっている、使わないから鈍って当然になるわけです。

事故のとき、どんな理論や信仰心、人の願いは無力です。ただただ単なる物理法則が作用するひとつの肉体となって、物理法則にのっとって破壊されるだけです。そこに人間の尊厳などありません。動物か人間か、ではなく、鉄やゴム、樹脂と同じ物体なんです。ぶつかれば壊れます、ただそれだけです。

唯一にして簡単な命を守る方法。ライフベルト、つけましょう。