そうかえんは戦車の運動会だった

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長年念願の富士総合火力演習、「そうかえん」へと行ってきたのでした。直前にブロガーサミット2013があったり、その後はボートにミニ四駆大会主催にアメリカでの日産車大試乗会と多忙につきすっかりご報告が遅れました。

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念願の「そうかえん」はヘビーウェット。立ち込める霧に夏だというのに冷たい雨...この雰囲気、まるで2007年に行われた富士スピードウェイのF1、通称「地獄のF1富士」を彷彿とさせ気分はブルー、超ブルー。それもそのはず、地域はほぼ同じ場所、ルートに立ちはだかる霧などすべて一緒ですからね。

軍隊は雨がふろうが槍が降ろうが戦いに出なければなりません。ということで基本的に中止はない、ということですが想定している的、目標物が見えないから射撃中止、ということも多く、できても航空戦力が出られない、弾着が見られない、と見ている方には寂しいことに。それでも生の砲撃の迫力には圧倒されました。

さて今回みて思ったのが、そうかえん、これって完全なる「戦車の運動会」。保護者ならぬ国民がビデオにカメラを構えて1秒たりとも逃すまいとする姿は完全に息子、娘の成長を見守る親そのもの。

▼ 10式戦車
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そしてその期待に応えて演習をする隊員に装備、戦車をはじめとする我が息子たちが頑張るわけですよ、急加速のあと急停止してみたり、スラロームしながら射撃する10式戦車なんて、まったくもって出来のいい弟分。一方の長兄、74式戦車は油圧制御サスペンションで稜線からそっと狙ってみたり、前後左右に車体を傾けて挨拶してみたりと、まるで機械体操のよう...って機械なのでそのままですが。

▼ 74式戦車
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そしてタイムスケジュールどおり、1秒の狂いもなく進む演目。このきっかり感はまさに運動会そのもの。そういえば運動会もはじまりと終わりには大砲的に花火を上げますね。ということでどっからどうみても運動会なわけですよ。

というかそもそもですね、学校に運動場があって体育があるというのは元をたどれば軍事教練にあるわけで、富国強兵の一環として知力だけではなく、体力も必要です。肉体的に欧米に劣る辺境アジアの日本人を強くするため、給食で栄養をとらせ、運動で体を鍛えたという歴史があります。軍事教練のための体操がラジオ体操となり今も残っています。

この時代、どうしても均質で優秀な人材を養成する必要性があり、それは軍隊に入ってからでは手遅れなので、小学校から行われた経緯です。

今も使われている、ランドセル。元々はランセルと呼ぶ、オランダで使われていた兵隊の装備品。これを皇室が行く学習院で通学鞄として使われたのが最初。

ランドセル - Wikipedia

江戸時代(幕末)、幕府が洋式軍隊制度(幕府陸軍)を導入する際、将兵の携行物を収納するための装備品として、オランダからもたらされた背嚢(はいのう、バックパック])のオランダ語呼称「ransel」(「ランセル」または「ラヌセル」)がなまって「ランドセル」になった(略)

通学鞄としての利用は、官立の模範小学校として開校した学習院初等科が起源とされている。創立間もない1885年(明治18年)、学習院は「教育の場での平等」との理念から馬車・人力車による登校を禁止、学用品を入れ生徒が自分で持ち登校するための通学鞄として背嚢が導入されたが、当初はリュックサックのような形であった。1887年(明治20年)、当時皇太子であった大正天皇の学習院初等科入学の際、伊藤博文が祝い品として帝国陸軍の将校背嚢に倣った鞄を献上、それがきっかけで世間に徐々に浸透して今のような形になったとされる。

なので運動会が軍事演習と似ているのは歴史をひもとけば自然、かつ当然のことなのでした。

アメリカにいってビックリするのは学校に運動場がないことや、給食がないこと。小学生が普通にそのへんのピザ屋でピザ買って、軒先で食っていたりして、なんだこりゃと思うわけです。なぜかというと体駆的にも栄養的にも恵まれているのでそういうことをする必要がないんですね。

逆に台湾や韓国にいってビックリするのは学校の形が日本とまったく同じ点です。黒板に教壇、机椅子があり運動場が備わっていること。しまいには学ランまであったりして。

学生服 - Wikipedia

詰襟タイプの男子学生服は学ランとも呼ばれる。学ランの「ラン」は和蘭陀の「ラン」を指し、江戸時代に洋服を蘭服と呼んでいたことに由来するという説がある。つまり呉服(中国由来のスタイルの服=今でいう和服)に対しての蘭服(西洋の服)として、蘭学同様鎖国中は和蘭陀が西洋全てを代表する名前となっていたためである[3]。その後隠語として生き続けた後、昭和50年代に漫画で「ガクラン」と称したことによって再び世間に広まり一般的な呼称となっている

制服の歴史 | 京都の学生服専門店 村田堂 |

日本で洋服の学校制服が採用されたのは、明治6~7年頃(1872~1873年頃)です。 工部省工学寮(のち東京大学に合併される)や札幌農学校(北海道大学の前身)などで洋服の制服を採用されました。

学ランももちろん軍服をルーツにもっているので、なにからなにまで学校と軍隊は密接な関係にあるわけです。台湾や韓国で日本式の学校がある理由は簡単で、当時三国政策において日本と同様の統治をしていたので、こういった教育システムもそのまま導入されたためです。その点でヨーロッパ、アメリカ式の学校システムとは隔たりがあります。

現代日本の大きな問題、それは経済が停滞し、就職が困難という点です。この困難さを助長しているのが「職業選択の自由」にあると考えます。

選択の自由があるゆえに、人は迷い、探す必要がでてきたのです。実はこの概念、戦前日本においてはないといってもいいでしょう。職業は選択するものではなく、家業を継ぐものだったからです。そこに職業選択の自由はありません。

家業がない人間にとっての、残された選択肢はわずかでした。それは役人になるか、教師になるか、といったものです。役人の派生として郵便局員、警察官や軍人といったもの、つまり官になるのが就職の早道なのです。そして官は優秀な人材を求めます。というのも国を強くするためには国を構成する民も賢くなければなりません。その民を数多く、効率的に養成するのが学校です。その最たる例であり、いまも最高峰に位置づけられているのが東京大学。旧帝大は簡単にいえば優秀な人材の輩出、それは技術者であり研究者も含め、官僚に至るまで家柄のよしあし、資産の有無によらず成績のよさ、つまり才能の本人の努力のみで人生の一発逆転が狙える素晴らしい機関なのです。

今も根強く残る学歴社会というのは、こういった背景にあるものです。

実は自衛隊も素晴らしいところです。というのも、特に悪いことさえしておらず、若くて健康でありさえすれば就職が可能で、安定した収入が得られ、しかも発足以来一度も戦争をしていない軍隊なのですから、世界でもっとも安全な軍隊です。

実戦がなく終始訓練に明け暮れるわけですから、その練度の高さたるや、これまた世界トップレベル。実戦経験がないからダメ、弱いというのはそれは当たらず、訓練でちゃんとできないものが実戦でできるはずがないことから自明でしょう。まずは連度が高いこと、これは重要なスキルです。

かくしてその連度の高さを小学生の子供を持つ親のような気持ちで見守るわけですよ。いや見守っている人間が3万人もいるわけです。これってなんでタダなの? 入場料とっていいんじゃないの?

なぜなら抽選で当たった人しか来られないのです。ガルパン人気でその倍率は3倍とも4倍ともいわれ、その競争率たるや一流進学校並み。

いっそのことF1開催で 15万人収容、いや詰め込んだ富士スピードウェイでやればいいのですがね。その先には10式戦車で富士スピードウェイの事務所をこっぱみじんに吹き飛ばして欲しいものです、ってああ、ちょっと毒が過ぎますね、すみません。

「そうかえん」は送迎バスの待ち行列がすごい、ということでしたが、地獄のF1富士に比較すればまったくもってスムースそのもの。観客は多くとも多数の自衛官によりよくコントロールされており、戦時下の民衆コントロールも軍隊の一つの機能と考えると素晴らしかったです。問題は政治と法律ですよね、阪神大震災も、東日本大震災のときも、非自民政権だったことも作用してスムースとは言い難かったですので。

その観点からいうと、常に日本の敵は日本の中にあるといったところでしょうか。

次回「そうかえん」に行くとしたら、晴天の中いきたいものです。晴天だと炎天下でこれはこれで相当厳しいそうですが。

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