富野由悠季監督と中村勇悟さんの異色対談(その1):富野監督の半生

先週、富野由悠季監督と中村勇悟さんの異色対談を聞いてきました。

富野に訊け!
富野 由悠季
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もともとクリエイター、デザインをする人向けの講演として構成されていたので、私のようなタイプは対象外なのですが、大変楽しく聞く事ができました。

まず富野さんについておさらいをする必要があるでしょう。言わずと知れたガンダムの監督ですが、アニメ界に入ったのは仕方なく、食い扶持を獲得する手段としてでした。そこで入ったのは大手の「東映アニメーション」ではなく、手塚治虫率いる「虫プロ」。ある意味ベンチャー企業的風土を持ち、東映アニメーションのような大手プロに入りたくない連中が集まったといいます。

「虫プロ」がアニメ界のベンチャー企業だったのは理由があります。それまでアニメといえば長編アニメーション映画が主流で、これを1週間に1回、30分放送するという、まったく新しいフォーマットにチャレンジしたのが「虫プロ」。制作費が300万円かかるところ、収入は80万円しかなく、まさにベンチャー企業のキャッシュフローそのもの。ベンチャーキャピタルのかわりに、個人投資家・手塚治虫が出資していたと考えれば、特段不思議でもありません。

この虫プロでは「アニメーターにあらずんば、人にあらず」という風潮。大学卒として入社したものの、絵がかけない富野さんは中卒のアニメーターにバカにされる状況でした。原動画が書けないので入社以来3年間、「絵コンテ」を書く仕事に従事。なにもわからずにがむしゃらに1週間に1度絵コンテを仕上げて行ったそう。その中で演出を覚え、演技(をさせることを)覚えたといいます。

また原作漫画つき、例えばアトムの絵コンテを作る際に気をつけたのは、アレンジをすること。原作否定ともとれるため、原作信奉者が多い虫プロのアニメーターからは袋だたきにあったそうですが、それでも「原作よりも必ず良くなっている(はず)」との信念(自信?エゴ?)をもって取り組んでいたそうです。

とはいえアニメーターあがりの絵コンテを書く人(なんていうんだ?)と比べて絵が下手なのは否めず、その点見劣りするのには違いありません。そこで富野さんがしたのは、絵を上手にすることでも、絵コンテを見やすくするための工夫をすることでもなく、

とにかく必ず、なにがあってもスケジュールを守る

ことでした。

そうやって絵が(上手に)描けないハンディを克服し、「コンテ1000本斬りの富野」として名を馳せたのです。

しかし暮らし向きは変わらず、ガンダムを監督する37歳まで生きるか死ぬかの生活を続けていたそうです。その中で希求してやまなかったのが「オリジナルストーリー権(原作権)」。漫画や小説のアニメ化をてがけていたのでは原作権を手に入れることができません。そこでチャレンジした、いやせざるを得なかったのが、オリジナルストーリーのロボットモノ。

ガンダムは「狙っていたわけではない」といいつつも、ザンボット3、ダイターン3に続くロボットモノとして、ロボットを再定義。「モビルスーツ(MS)」として新規性を打ち出し成功するわけです。

ガンダムにより富野監督は念願のヒット作の原作者となり、今も生きていられるというのです。ただし著作権自体は代理店、プロダクションのものだそう。ちなみに宇宙戦艦ヤマトの著作権は裁判となり今もまだ不定だとか。

ガンダムは優秀なスタッフの才能を富野監督がまとめあげ、さらに「ニュータイプ」という概念を持ち出すことで物語性を深めた傑作です。(当時の)アニメは完全なる分業制です。監督、脚本、演出、絵コンテ、原画、動画、(トレース、)彩色、撮影、アフレコ(音響)・・・それぞれ責任者・担当者がいて監督は主に上流工程、脚本、演出、絵コンテをとりまとめます。つまりこれはスタッフワーク。

そう、今回のテーマはスタッフワーク(共同作業)についてでした。

長くなったのでまた次回。

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教えてください。富野です
富野 由悠季
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