オバマ新大統領就任の前にガザ爆撃・地上軍侵攻、という悲しいニュースがありました。ニュースをネットに頼っている私ですが、取り上げ方がやたらに少ない、淡白な印象を受けたのですがTV、新聞はどうだったのでしょうか。インパクトとしては9/11と匹敵するものだと思うのですが、それと比較すると取扱いが小さな印象を受けました。
酔うぞの遠めがね: ガザ地区爆撃Google Earth で測ってみると、ガザは全体として長さ38キロ、最大幅12キロの地区で、ヨルダン川西岸地区とイスラエルが共にある、エルサレムから直線で78キロの位置になります。 ここに、80機の航空機で爆撃したのですから、すごいことになりました。
ガザ側に防空機能がないので、まさに一方的な攻撃だったことでしょう。
ところで空爆で連想するのが「東京大空襲」。この規模はどうだったかというと、、、
東京大空襲 - WikipediaB-29爆撃機325機(うち爆弾投下機279機)による爆撃は、午前0時7分に深川地区へ初弾が投下され、その後、城東地区にも爆撃が開始された。午前0時20分には浅草地区や芝地区(現・港区)でも爆撃が開始されている。これにより、住民を猛火の中に閉じ込めて退路を断ち、逃げ惑う市民には超低空のB-29から大量の榴弾や機銃掃射が浴びせられた。火災の煙は高度15000mの成層圏にまで達し、秒速25m以上、台風並みの暴風が吹き荒れた。 東京大空襲でB-29は日本の貧弱な防空能力を見越し、多くの爆弾投下機から殆どの機銃と弾薬を降ろして通常の約2倍、6tの高性能焼夷弾を搭載していた。
B-29爆撃機が325機です。爆撃専門の航空機による絨毯爆撃なわけですから、その規模たるや凄いことです。
1944年11月24日にヘイウッド・S・ハンセル准将の指揮により始められた日本本土空襲は、軍需工場、製油所などの目標地点のみ攻撃するピンポイント攻撃であった。なぜならハンセルはかつて日本軍が中国で行った無差別爆撃に対して非人道的だという感情を抱いていたからであった。しかし思わしい効果が上がらなかったため、翌年の1945年1月21日にカーチス・E・ルメイ少将と交代した。「軍需工場の労働者の家や使用する道路、鉄道を破壊することが効果的だ。」というヘンリー・H・アーノルド大将の意を受けたルメイは、大規模な無差別攻撃を立案、その手始めに東京を選んだ。
日本軍も重慶に対しての戦略爆撃を行っており、米軍でそれを引き合いにしています。
重慶爆撃 - Wikipedia重慶爆撃は日中戦争・第二次世界大戦と続くこの時期の世界戦争の中で、1937年のゲルニカ爆撃に続く最初期の組織的な戦略爆撃に位置づけられる[2][3][4]。 戦略爆撃とは、「相手の戦争継続能力を奪うための爆撃。主要軍事施設・生産施設・物資貯蔵所・交通網や政治・軍事の中枢などに対する爆撃」[5]を指すが、この思想は1921年イタリア王国のイタリア陸軍の元将軍ジュリオ・ドゥーエが戦略爆撃の書『制空』を出版していることや、アメリカ陸軍の飛行戦術学校が教本として採用しているなど各国で研究されており、日本軍による重慶爆撃がこの戦略思想を独創したと見るのは穿った見方である。むしろゲルニカと同じく戦時国際法における無差別爆撃の可否が焦点となったと見るべきだろう。
重慶爆撃の元は「ゲルニカ爆撃」となっており、ドイツ軍からその戦果を知った日本軍が模倣したとのこと。上記によると思想的には1921年イタリア陸軍の将軍が発想しています。
東京大空襲の後も各地への爆撃は続き、八王子も原爆投下の4日前に大規模な空襲を受けました。
八王子大空襲と中央本線列車銃撃終戦の日から2週間前の1945年(昭和20年)8月2日未明アメリカ空軍のB-29戦略爆撃機約170機が、八王子市上空に飛来。焼夷弾67万発を投下した。八王子旧市街地の約80%が焼失し、現在の八王子市域で約450名の住民などが亡くなった。
八王子市街に対して、170機のB29、焼夷弾67万発です。すでに日本側の防空能力は乏しく、P-51という当時高性能を誇った戦闘機を護衛に従えての攻撃の前に、八王子の街は焼け野原となりました。親類は幸い難を逃れたものの、建物ごと土地の登記簿などを消失、随分と土地を失ったといいます。
八王子大空襲と中央本線列車銃撃浅川駅からまもない湯の花トンネル(猪鼻トンネル)手前を進んでいたところ、八王子方面から追いかけるように飛んできたアメリカ海軍戦闘機P-51が列車を発見。2〜3機が左から列車に向けて機銃掃射と23cmロケット弾による攻撃を行った。 最初の攻撃は機関車と1両目に集中した為、機関士はトンネルに入れて、難を逃れようと湯の花トンネルに入り停車。しかし、3両目からうしろの車両は全長162mのトンネルから外れて、その後、戦闘機は反復攻撃(繰り返し攻撃)をしたため、多大な被害を生む結果となった。
P-51 (航空機) - WikipediaP-51Dはマスタングの決定版である。火力が強化され、新たに2丁の12.7mm機関銃を加えて、計6丁の機関銃を装備している。内側の4丁はそれぞれ400発、外側の2丁はそれぞれ270発の弾薬を有していた。翼下にレールを追加し、最大8発のロケット弾を携行できるようにした機体もあった。
湯ノ花トンネル銃撃事件もP-51ですが、知り合いでこのP-51に追いかけ回され、あげくにロケット弾まで発射された70歳代の方もいました。当時は小学生で、荷物は風呂敷一つで逃げている最中だったそうです。幸い機銃もロケット弾も外れて生き延びられたわけですが、ここ八王子でもそんなことが起きてたということです。
戦略爆撃が絨毯なのか、ピンポイントなのか。どちらにせよ大小の差はあれども一般市民に被害が及ぶことには違いがなく、空爆をした側でもあり、空爆を受けた側でもある日本という国はその影響の大きさをよく知っているはずです。そういった立場から国際社会に対して目を向けていく必要を感じた今日この頃。
ガザ侵攻はオバマ大統領就任式に合わせて完全撤退です。オバマ大統領誕生で世界はどう変わるか。目が離せません。
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