誕生日

12/2は私の誕生日でした。エントリー書こうと思ったものの家に帰ったら即フトン、そして寝落ち。本当、週末は疲れが溜まってます。そのまま朝11時でした。

世代と時代

さすがにいい年になってきたし、子供も一丁前に喋れるようになってきて、世代を強く意識するようになってきました。街でカワイイ女の子を見ても、きっと18くらいだよな、自分の年よりも子供の年の方が近いんだと思うと子供の世代に分類してしまいます。ひらたくいうと興味が沸かないというか、なので最近の20代の恋の話とか聞くと新鮮で懐かしく感じます。頑張れ若い人。

高校時代から数えても20年くらいが経過して、社会がなんだか変化していることに気付かされます。これが「時代」なのでしょうか。子供のころにワイドショーでアメリカの凶悪事件や、食風習が報道されて「これだからアメリカは危険、なってない」のような風潮でした。例えば学校内での殺人事件や、幼女殺人事件。不倫の氾濫、マクドナルドに代表されるファーストフードを車の中、電車の中のどこでも食べてしまうなど。ええ、今普通に日本で起きている事象です。今の日本人や若い人はそれをきっと「普通」だととらえて、日本の特徴となってくるのでしょう。最早アメリカよりもよっぽど日本の方が危険な国になっています。コンビニの前でたむろしてタバコ吸いながらメシ食っている高校生に注意することなんて出来ません。狩られるのがオチですから。しかし一体いつからそんな国になったんだか。

いつの時代でも「昔はよかった」とかいいますけど、実際には変化しているだけでよくなっている点もあり、悪くなっている点もあるわけです。タバコでいえば昔は整列乗車のホームで吸うことだって、混雑している連絡通路で吸っている人なんてザラだったわけです。今は明確にルール化されたおかげでそんなケースも少なくなり、よっぽどマシですが、ルールを守れない人は未だにいてムカつき具合は今も昔も変わらないわけです。

結構昔は通勤、通学経路で喧嘩を見る機会があり、だいたいはそのタバコのマナーとか、態度が気に食わないとかでつかみ合いになっていたのですけれども最近はそんな光景は見られませんね。狩られるとか、ストーカーになられて刺されるかもしれないという底知れない怖さがあるからでしょう。

治安の悪さ、犯罪の氾濫もそうですが一方気になるのが教育環境の悪化ですかね。娯楽が安く提供されている結果、親のコントロールを容易に超えてしまいます。TVゲームの一般化、商業主義のTV番組とそのタイアップ商品。デパートのおもちゃ売り場は危険です。ムシキングやラブ&ベリーに長蛇の列が出来ているのを見るたびに憂鬱になります。

ものが無かった時代、想像力を具現化するのはある程度の労力を必要としました。組み立てキットなどはその労力を限りなく少なくしたものです。モノ作りの基本はキットにあり、究極はフルビルドなわけです。ところが最近の風潮は「最適なものを選ぶ」であり、情報収集からはじまって賢いもの選びをすることが良いとされています。おふくろさんが夜なべして作ってくれた手縫い、というのはこの時代には似合わないのでしょうか。裁縫が無くなりつつある昨今、次は手料理がますます省力化していき、最後は献立を選択するだけになってしまうのではないかと今から心配です。そんな中ユザワヤに行くと、まだまだ手作りする人の活気や熱意がうかがえて安心します。

次の世代を担う子供を、この時代の中どのように教育していくかが親に課せられた使命だと思って日々考えています。