今回はDESTINYというよりも、前作SEEDの総集編、しかもキラ・ラクス編でした。しかし回想シーンの合間の新作カット部分で色々と伏線が張られていて意外と見所が多かったです。そして今回の名セリフは、
(若かりし頃の)タリア「私は子供が欲しいの。だからプラントのルールに従うわ。」
タリア若っ!
ここでの世界観で重要なのは、コーディネーター(遺伝子操作された優秀な人間)の出生率が低いこと、それに対応して若い時期からカップリングがされて少子化対策をしていることが背景にあります。プラントのルールとは定められた婚約者と結婚して子供を作ることと推測されますので、逆にとればデュランダルは
種無し?
ということでしょうか。
このセリフに対するつぶやきは
(現在の)デュランダル「誰が決めたというのだろう、何を。」
でしたが、どうもこれがトラウマとなって今のデュランダルのモチベーションとなっているキライがありますね。
それが最後のセリフの
デュランダル「ならば私がかえる。すべてを。戻れぬというのなら、初めから正しい道を。」
に込められています。つまり決めた道ではなく、正しいと自分が信じる道を自分が作り出そうと。
気になるシーンはまだまだふんだんにありました。
・(現在の)デュランダルの側に薬
・若かりし頃のデュランダルが(素顔の)クルーゼに薬を渡す。幼いレイが側にいる
・部屋で泣く幼いレイに近づく仮面のクルーゼ(多分素顔の時代より後)
薬とは、クルーゼが使っていたあの急激な老化を抑えるためのものです。つまりデュランダルもクローンかなにかで薬が必要だということでしょう。それを裏付けるのが、
クルーゼ「そうして考えている間に時はなくなるぞ」
というセリフです。彼は子供が作れない上に寿命が短いことが明らかなようです。レイがあのエクステンデッド(EXTENDED、強化人間)施設に収容されていた風で、しかもクルーゼに連れられている、その後迎えに来ているということからもしかしたらレイもクルーゼとおなじくフラガの父のクローンか、クルーゼのクローン(同じことですが)であり、しかも強化された人間の可能性が出てきました。以前デュランダルに「ギル」とかいって飛びつくレイの姿もありましたので、この三者は旧知のとても親しい間柄なことが裏付けられました。
ヒビキ博士(カガリ、キラの父)「クローンは違法です!」
フラガの父「欲しいのだろう、研究資金が」
ということなので、ヒビキ博士が研究資金目的でフラガの父のクローン、クルーゼを作りさらにレイまで作り、その資金でコーディネーター・キラを作成したことになります。
レイがクローンでなおかつEXTENDEDということであり、一方シンは普通のコーディネーターですがデュランダルはシンに最新鋭のインパルスを与えていることを考えると能力比較ではシンが上と見抜いていたわけですね。彼は遺伝子(DNA)工学の権威でもあるとの設定ですから、DNAを構成する4つの蛋白質をコントロールすることで世界をコントロールしようというのが、彼がタリアにふられたことを唯一救える道なのでしょう。しかも時間(寿命)が限られているので急いでいます。
さて、最近色々な要因で自分の寿命を考える機会が多いです。同世代の知人が亡くなったことや、人間ドックの結果が悪かったこと、祖父が早くになくなっていることなど色々ありますが、最も影響が大きいのが子供でしょう。この世に生を受けて育つ命があるのなら、それよりも早く命が費えるのは親の宿命です。その費える時期が明日来るのか、それとも5年後なのか、50年後なのかは不定です。事故を除けば寿命があり、その寿命というのは人間の身体を組成している細胞の集合体の性能、そしてメンテナンスによりある程度は決まってくるわけですが一般には分かりません。事故死はさらに確率的要素が入ってきてさらに分かりません。生命は死からまぬがれることは出来ないし、どうもこのままでは長生きは出来なさそうというのが最近の印象でもあるために考えているわけです。
一方で40歳で死ぬのと、90歳で死ぬのでは50年も違いますが、これは長い人の歴史と比較しても大した違いではなく、さらには無限の大宇宙の時間スケールと比較すればそれこそ微々たるものです。その微々たるものの中で人は人の営みをして死んでいくわけです。死んだらそこでオシマイです、はい。それだからこそ死ぬまでの時間のなかで、どういう人生をしていくかが大事なのはもちろん、自分がその時代に何をしたか、歴史にどういう貢献をしたかといういわゆる「功績」が重要なのではないかと考えます。滝廉太郎や宮沢賢治など20歳代、30歳そこそこでなくなった才能溢れる人は作品を通して後世にも語り継がれ、それはまた「生きている」という表現を使えるわけです。つまり細胞の集合体の営みとして存在することが重要なのではなく、その人の営みの成果が重要なのではないかと。それは立派な作品を発表して万人に知られることが必要なことではなく、ただ単純に子供から見て(偉大な)父が存在したと思われるだけでもう十分なのです。そして自分の周りの人に評価されれば十分すぎます。そういう観点からこの時代にブログというなんだか分からないものを世の中に出すお手伝いが出来ることがとても有意義で楽しい仕事だと感じているわけです。ブログがなんだったのかは後世の歴史が判断してくれることでしょう。
ということで、無限にひろがる大宇宙の時間軸から人生まで考えさせるガンダムって凄い作品だと思います。これこそ後世に残る名作でしょう。来週は綾波コスプレのルナマリアが見られます。