都市化と個性

なるほど、面白かったです。この養老 孟司さんは本を読むと中学・高校の大先輩であることが分かりました。もっとも30年も違うのでずいぶんと環境は変わってはいるのですが、それでも根底に流れるところは共通していますね。

とても興味深かったのが「都市化」です。著者は「都市化」というキーワードを使って現代日本社会のいびつな構造を紐解いています。

簡単にいってしまうと「都市化」とは「自然をないことにしている」ということです。自然とは例えば虫とか雑木林とかいうもので、都市には価値のないもの(値段のつかないもの)になっています。そしてそれは環境だけにとどまらず人にも適用されるのです。それが「子供」です。子供は人間としてはもっとも「自然」なものであり、将来どうなるかなんてまったく分かりません。しかし手間がかかるし、お金も時間もかかる。つまり費用対効果では計れないシロモノです。「ああすれば、こうなる」というがまったくわからないものです。子育てはあくまでも「手入れ」であり投資ではないのです。

ですから都市は少子化になるのです。なるほど。

都市は田舎があって成り立ちます。しかし日本はほとんどすべての地域が「都市化」してしまいました。そこで田舎に相当する地域は「海外」へと移りました。鉱物資源はおろか、農作物までもほとんど輸入に頼っているのがその表れです。さらには製造業までもが海外へと移っています。残るのは巨大な消費社会と金融関係だけですね。アメリカの都市でいえばニューヨークです。日本はすべてニューヨークになってしまうかもしれません。

個性は心にはないと著者はいいます。ではどこに?それは身体にあるのです。身体こそがすべての人でまったく同一なものは存在しえない個性的なものなのです。クローンは別ですね。

脳の活動、頭脳労働の結果はすべて人間の身体、筋肉を使ってしか出力できません。ですから頭脳労働ということばは言葉としておかしいです。労働はすべて肉体労働なのです。IT企業の人はディスプレイの前に座って、常に手を動かしています。手がなかったらキーボードを叩けません。入力は五感で、出力はやはり筋肉なのです。

心は個性とは逆で分かり合う、共感すること、同じであることを求めます。コミュニケーションの基本はそこにあります。人とまったく違うこと、自分の話を分かってくれない人といることがどんなにつらいかは疎外やイジメなどを見ればよくわかります。さらにはまったく知らない外国語を話す人の中にいるのもつらいです。だから外国語が分かるように、喋れるようになりたいのでしょう。

著者は答えをあえて用意しません。さすがは教育者。考えさせるのです。ヒントは一元論ではないところです。つまり都市か田舎か、戦争か平和か。どちらを選択しろというのではないという点です。だから「逆さメガネ」で物事を見ましょうといっているのです。