国旗掲揚と国歌斉唱

私の最近の興味は日本の近代史です。授業でもそうですし、現代生活においてもどうも20世紀前半の歴史がすっぽりと抜け落ちています。そんな中で敗戦前はどうだったのか、敗戦後はどうなって今私が生きている現代につながっていくのか。興味深いです。

国歌斉唱問題に怒れ!

今の若い人たちは、「赤紙」というものを知っているのだろうか?それが来た家の人たちが、自分の息子が戦争で死にに行くことを知っていならがら、「日本万歳」と叫んでお祝いをしていたことを知っているのだろうか?

このエントリーに対して異論を唱えたエントリーが以下です。

Hybrid - 国歌国旗問題について

つまり、現代においての国歌や国旗の存在意義は戦前とは違うのである。
もし、納得がいかないのならば「国歌」や「国旗」は戦後の日本では国家権力を象徴するものではないという憲法でも作れば納得がいくのだろうか。
とりあえず主張を整理すると現代でも国歌国旗が国家権力の象徴と解釈するのは個人的な解釈であって
戦後の日本では国家権力を主張するものではない。

山本夏彦さんが書いた「誰か『戦前』を知らないか」ではこう指摘しています。

誰か「戦前」を知らないか―夏彦迷惑問答

山本 夏彦

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(p.12-p.13) あなた方(インタビュアー兼編集者を含めた戦後生まれの世代)に「戦前」を話して理解を得られないのは(中略)教育のせいです。あなた方は戦前という時代は真っ暗だったって習ったでしょう。「戦前戦中まっ暗史観」は社会主義者が言いふらしたんです。(中略)いかにも社会主義者は(中略)「特高」に監視され「まっ暗」だった。(中略)僕はそれを「お尋ね者史観」と呼んでいます。 (中略) 大衆はお尋ね者ではないから、その日その日を泣いたり笑ったりすること今日の如く暮らしてました。

目から鱗です。どうしても戦前と戦後と分けたがり、戦前は真っ暗で天皇万歳、戦後は明るくアメリカ万歳。そう思ってました(洗脳教育されてました)けど実際戦前戦後を生き抜いてきた人の言葉で語られると説得力があります。

最近奥様のおばあ様(91歳)のアルバムを見せてもらいました。旦那様が戦争で徴兵されて戦病死をして帰らぬ人となったのですが、それはもう盛大に出征式をやったのが写真からもよくわかりました。しかもその祭り(?)は2日間も続いて、町じゅうを練り歩いたそうです。出征することは非常に名誉なことであり、それを盛大に祝うのは当然のことだったわけです。さらに出征のお知らせを年賀状のようにあちこちに出すそうで、その葉書も残っていました。終戦間際に戦病死したのですが、終戦後は市の公民館で戦病死した人をこれまた町をあげて盛大にお葬式をやっていました。夫を亡くして戦後を生き抜いたおばあ様の言葉には戦争や戦前の日本に対する恨みごとなどなく、ただそういう「時代」だったと冷静に受け止めていたのが印象的でした。ちなみに戦争に行く=死ぬと思って送り出してないそうです。危険なのは承知ですが、愛する家族を守るためなわけですから。

戦前を体験している人が少なくなっていくなか、貴重な生の声を大事にして真摯に受け止めたいものです。

リンク:
「横須賀に流れた君が代」(「日本の父へ再び」グスタフ・フォス著)
祝日には国旗掲揚を