WISH
以前から行こうと思っていて、全然いかなかった「トヨタのお店」に本日立ち寄った。目的は売れに売れているWISH。ホンダ・ストリーム対抗としてデビューし、後だしジャンケンで勝負し、完膚なきまで叩きのめした成功車種。
去年はホンダ・フィットがトヨタ・カローラの23年連続首位にストップをかける快挙を成し遂げ、トヨタを本気にさせてしまったというのが大方の見方。後だしジャンケンで負ける人はいないでしょ、の言葉どおり、WISHが販売台数でトップを得る好調ぶり。確かに最近非常にWISHを見るようになった。CMでは宇多田ヒカルの曲を使い、万人にアピールしている。
そんなWISHであるが、さて、実際はいかに?車は乗ってみたいと分からないが、今回は時間も無く、ハンドリングに興味も沸かずに試乗はなし。というのも本当にすべてがストリームと同じなので、大きな違いはなさそうというのが自分の感想。それと試乗車が1.8Lだったことが大きい。
WISHのグレード構成は 1.8X, 1.8X+S package, 2.0G, 2.0Zである。2.0Lは今年の4月に追加になったもので、やはり主力車種は1.8Lの1.8Xである。2.0Zはオーバーフェンダーにより3ナンバーで、このグレードのみがリアが独立懸架となる。2WDのほかのグレードはトーションビームとなる。トーションビーム・・・ようは棒である。さらに1.8Xのリアのブレーキはドラム。ビッツやフィットなどの軽量の小型車であればこれでもいいのかもしれないが、これだけの重さと大きさでこの形式というのは悲しい。確かにそのへんのお買い物やファミレス、コンビニに行くだけならもちろんこれはこれでコスト安いしいいのだが。
その点2.0Zはきちんとしている。リアはダブルウィッシュボーンでディスクブレーキ。CVTで6速マニュアルモードもある。トヨタの人いわく、2.0Zは別物だということで、受注の8割は1.8だという。6速マニュアルモードだが、上が+(シフトアップ)で、下が-(シフトダウン)だということ。これも自分の感覚と逆である。メーカーによってこの方向が異なるのだが、加速Gにあわせて考えれば下(手前に引く)が+で、上(押す)が-になるのが感覚にあう。とはいってもそもそもオートマではよっぽどのことがない限りマニュアルモードは使わないのでいいといえばいいのだが。
パッケージングはストリームと同じ。1、2列目5シーター+3列目2シーターの7シーターとしている。シートの高さはちょうどよく、腰を上げることも落とすこともなく座れるのは美点。3列目シートは172cmの自分にはギリギリの大きさ、足元には余裕はない。というか、すべてストリームと同じ。ストリームより数センチ足元に余裕があるらしいが靴をまっすぐ、膝をまっすぐに出来ないのには変わりがないから大同小異。それでも小学生には十分な広さでしょう。
2列目にはちたまたまベビー・チャイルドシートが装着されており、非常によくわかった。ベビー、チャイルドシートが装着された状態ではどうがんばっても2列目にオトナ2人は座れない。すると大人5人+子供1人がmaxとなる。とはいっても3列目に大人2人は30分が限度だろうし、出入りを考えるとスカートの女の子には厳しいものがある。
スパシオの3列目は大人が10分我慢できることを目標に開発されたそうだが、同じ主査のもと開発されたWISHはそれ以上を目指したという。確かにそれ以上だが、やはりemergencyには違いない。
ストリームもWISHもベビーシート法制化という後押しがあってこそのパッケージングとして成立している。その昔、大人5人と幼児1人であれば5人乗りのカローラに詰めれば入っていたが、今はそれは違法だ。合法にするためには4ドアセダンでもワゴンでもなく、こういったミニバンにならざるを得ない。これも1家族1台という前提があればこそだ。
日本においては税法を考えると明確なのだが、車は以前贅沢品として扱われている。いや、扱い続けている。消費税が導入された時点で、すべての商品の税率は消費税でまかなわれるはずなのが、いくつかの例外が据え置かれた。そのうちのひとつが車である。車は一家族で一台で十分。そして古い車に乗り続けるのは悪。新しい環境に適合した車に買い換えてもらわなければならない。そんな国策が自動車税、重量税、取得税、ガソリン税から見て取れる。
自家用車は交通インフラの一部ではなく、日本産業を支える商品にしか過ぎないのだ。そしてその商品を活かす為に道路をえっちらおっちら作るという構造。道路は産業基盤の一部とみなされているが、交通インフラの一部ではない。交通インフラであれば民衆のためにもっと安く提供されなければならない。
そんなことをWISH一車種で喚起されるほど、日本の車事情はお粗末だ。WISHは人々の願いすべてを網羅しているが、何一つ満足させられるものではないことを思い知らされる。しかしそれは車がではなく、日本社会全体のことなのである。