このような事件(?)でいつも思うのは、「匿名性」と「匿名」は違うということでしょうか。
私がはじめてネットワークに触れたのは、パソコン通信時代の草の根ネットでした。草の根といっても出版社(G評論社)でしたので、まあ大手かもしれません。ここであるときBBSに初めて書き込んだのですが、それが引用した相手を怒らせてしまいました。内容はこんなかんじ。
ある人「SL-HF77(Beta hi-fi1号機) は画質が悪いです。この画質を向上する機械を作りました。この機械を○○円でお分けします」
私「画質をあげるのであれば、信号の入力であるアンテナ部を代えるのが効果的。アンテナを代えたり、ブースターをつかってみては」
これは商売の宣伝の場所ではなく、AV関係のBBSでしたが、まあ、相手の商売の邪魔をしたようにもとれますし、とにかく相手は超大怒りです。しかも自分はこの出版社でバイトしていたのですが、編集長をはじめ、社員の人全員に知れ渡っているのですよ。別に知れただけで、怒られたわけではないですが。とにかく速攻で謝罪の書き込みをして、仲直りをしました。
これで「BBSはやばい」と思い、その後2年間書き込みしませんでした(^^)
その後書き込みを開始したのは、fjでした。fjというのは、インターネットの前身、junetが主催するニュースシステムです。
この上での文化というのは今のインターネットと違い、こういうものでした。
はじめまして(またはこんにちは)、野間@○○大学と申します。
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FullName
所属会社・研究機関等
email: tnoma@XXX.YYY.ac.jp
で終わる書き込みが「マナー」として定着していたことでしょうか。しかもsignatureは4行以内とか、email等の身分を明かす必要な情報が入ってなかった場合は、主(ぬし)や長老みたいな人から注意を受けたものです。当時はインターネットとはいえ閉鎖的なネットワークでしたので、今みたいに捨てアドレスなんてありません。必ずどこかの(理系な)会社か、研究機関、大学等から正式に発行されたものがある意味、戸籍みたいなものでした。
fjが大きく変わっていったのは、大手パソコン通信(nifty)からの接続がされたころでしょうか。パソコン通信のノリ(悪ノリも含む)と、厳格なfjの風土ではあうわけがありません。とりわけ、「やあやあ、われこそは・・・」と本名と所属を名乗ることが前提のfjと、匿名(ハンドルネーム)主体のパソコン通信とは大違いです。
時は流れて 2chのような匿名性の高さによる新しいメディア、文化も生まれました。でも自分はこの2chはほとんど見ませんし、2chの文化にも馴染めません。匿名であるからこそ言える真実もあれば、匿名であるから無責任であったりする。メリット、デメリットもあるけれども、デメリットの破壊力が凄まじい。罵詈雑言、誹謗中傷がその類です。人は言葉でコミュニケーションをする動物ですから、言葉は武器です。しかも声と違って、BBSは消えていくメディアではなく、残っている。そういう意味で、ダメージは大きいわけですよ。
話しは戻して、匿名と匿名性の違いですが、いくらインターネットで、捨てアドレスがあるし、掲示板で匿名が使えるからといって、完全に何者でもない人にはなれないわけです。あくまでも「匿名性が高い」だけで、それこそ今回のようにサイト管理者自身やプロバイダ、所属している組織が協力すれば身元がばれてしまいます。
今回の件で興味深いのは、サイト管理者、そのほかの第3者の意見のやりとりです。サイト管理者の持っているシステムの上でやっぱり匿名で批判するコメントを平気で書き込む輩がいたりしています。そう、問題の発端とまったく変わらないわけですよ。しかもサイト管理者に対して「気に入らない書き込みがあれば、シカトすればいい」と指南するわけですね。当事者ではない、ただサイトを見ただけの第3者がシカトせずに匿名で書き込んでいるにも関わらずですよ。
自分は透明性の高いコミュニケーションが好きです。たとえ本名でなくとも、固定ハンドルネームでアイデンティティを構成する、つまりは人柄を作っていく。コミュニケーションにはもちろん喧嘩や、叱責も含まれますが、たとえ negativeな状況に一度なったとしても、仲直りすればpositiveな関係にもっていくことができます。匿名で、捨てハンドルなんか使っていたら、仲直りできるはずもありません。ただ消えゆくのみです。
せっかく物理的制約から(ある程度)解き放たれたインターネットなわけですから、人間関係を enhanceするツールとして使いたい、というのが自分の願いです。
(07/09/2003追記)
ARTIFACTのコメントにこの記事が紹介されていましたので、Link/TrackBackをさせて頂きました。