ここ甲州街道は参勤交代の時代に整備されたといっても僅か3藩しか利用しなかったため宿場町がさほど発達していない。特に調布近辺は利用が少なく負担も大きいために輪番制にしていた程で上下の地名があるのはその名残。
また布にまつわる地名が多く、染地は古くは南北朝時代から多摩川で布を染めてたことに由来する。
それだけ長い歴史をもつだけに沿線には大地主、倉をもつ大きな家が多くみられる。
表札がフルネームでなんでかと思ったらあたり一帯全部同じ苗字だったからそりゃそうだ、田舎では普通だけど。
締めは大国魂神社。
これも江戸以前からの歴史を持つ大きな所で、義祖母によると府中は街、八王子に嫁いできたときなんて田舎にきたんだろうとガッカリしたとか。
それでもなんで嫁いだかというと酒屋でお金持ってたから、だそうで。義祖母の兄弟はこの辺の土地持ちで競馬場周辺の駐輪場経営で成り立っているといってたっけ。