父子鹿児島旅行2018 総括

息子は約7年ぶりの帰省。
鹿児島は12年ぶりの旅行。

毎回父子旅行はテーマを設定して臨むが、もともとのチョイスとしては3つ。
1)熊本・阿蘇方面
2)天草方面
3)鹿児島方面

阿蘇は大自然と熊本地震の被災状況、復興状況を。
天草は天草の乱に至る歴史を。
そして明治維新の中心地としての鹿児島をみる、という設定である。

子どもはこのうち3)の鹿児島を選択したので、自動的に明治維新、西郷隆盛をとりあげた大河ドラマ「西郷どん」で盛り上がる土地を目指した。


父子鹿児島旅行2018 Day1:鹿児島市内~桜島 - のまのしわざ

父子鹿児島旅行2018 Day2:野間岬を訪ねて - のまのしわざ

父子鹿児島旅行2018 Day3:野間岬~芦北~八代 - のまのしわざ

江戸幕府と明治政府の違い

明治維新はそれまで長く続いた江戸幕府が倒れたという点ではエポックであるが、天皇を中心とした政治という面でみると、新政府が江戸幕府にとって代わったに過ぎない。単なる乗っ取り政府である。

ただその背景には諸外国の圧力、特にアメリカのペリー黒船による開国が最大の転換点にある。

この開国を迫るペリーが来ることを薩摩藩はいち早く情報をキャッチしていた。というのも浦賀に来る前、琉球(沖縄)に立ち寄っていたからである。薩摩藩は交易が盛んだったために物流と共に情報も得る地勢にあった。

その開国以前から藩の財政改革、反射炉を作るなど西洋技術を積極的に取り入れた薩摩藩。つまりは武器製造はもちろん黒船も日本初導入。士族の教育にも力を入れ、富国強兵の先駆けともいえる。明治が富国強兵を推し進めるのは薩摩をはじめとする明治政府を支えた藩のいわゆる勝ちパターンを踏襲している。

明治政府になって、大久保利通らが海外視察へいっている留守政府の時に西郷隆盛は中央集権化を進める。

それが廃藩置県、租税改革、徴兵制、学制の導入である。

租税はそれまで藩から幕府に納める形態であったが、廃藩置県をして地方自治を弱め、税を直接国税として徴収する方式に切り替えている。これにより地方は独自の施策や財政を豊かにすることができない。

また徴兵制は藩が独自にもっていた軍事力を解体、国軍に統一するものだった。つまり幕末のような強力な軍隊や財政をもつ地方、つまりは薩長のような藩が生まれにくくする施策である。

本来幕府は連邦政府のようなものであり、むしろ合衆国に近いスタイルだったのだ。

そして中央集権化のトドメは学制である。それまで藩校で藩独自の教育スタイルをもっていたのが、中央政府の富国強兵に従った、均等で平等な教育が施されることとなる。これは工場従事者や兵隊といった、個性は不要で、人間を機能部品として高い品質で社会に供給するための礎となる。

その最高峰は人間兵器特攻で、人命の部品化によく表れている。

中央集権化と少子高齢化

はたしてこの中央集権化は今も続いている。太平洋戦争で敗戦を喫し、軍隊は一時的に解体、富国強兵施策は潰えた。戦後経済復興がその後の大目標となり、貧困から脱することが精一杯だった。

復興を下支えするのは労働力である。労働力とは人口のことである。人口増加はすなわち国力増加につながる、なぜならば人間は機能部品だからだ。

これを下支えしたのが学制の中の給食制度である。

給食により児童の安定的な食生活が保証され、均質な品質の体格を養うことができた。これは教育水準とともにその後の工場労働者、そしてその後台頭する勤勉な会社員、サラリーマンを輩出することとなる。

人口増加と経済発展、都市への人口集中は土地不足や物価上昇を招く。

21世紀となると様変わりする。それまで人口増加で右肩あがりの経済成長を前提とした設計をしていたが、それが永続しないことにようやく気付いた。

低迷、低下する出生率。晩婚化。

出生率だけをみると都市部の方が低く、地方の方が高い傾向である。にもかかわらず地方の方が少子高齢化社会が進むのは転出が多いからだ。ではなぜ転出が多いのか。それは仕事がないから。

仕事がないということは地域経済が回っていないということである。地域経済が疲弊し、労働力が余剰となっているのだ。

かくして労働人口は都市部、いや東京に一極集中する。いまや転入超過の人口増をしている都道府県は東京を含め3件ほどしかない。

そしてその東京は子育てがしにくい都市として有名である。
するとますます少子化が進む、悪循環である。

この原因は中央集権に求めることができる。地方自治の采配がなく、あくまでも中央政府に対して陳情、交付金や補助金をねだる図式がそのまま続いている。

地方創生という名のばらまきは、以前竹下政権が行ったふるさと創生と同じく、カンフル剤にはなったとしても、この少子高齢化の波をとどめることはできない。

砂漠にいくら水をまいても草木は生えないのだ。

原因は明らかで、地方はどの地方も同じ地方となっている。本来地勢や産業形態により地方でも人口や経済の差が起きるはずだが、どれも均一、平等としたためにどこも似たり寄ったり、結果東京以外の地方はすべて地盤沈下しているといっても過言ではない。幕末にあったような、交易がさかんだった薩摩藩が力をもつ構図は、絶対に起きえないのだ。

起きないように設計して中央集権化を推し進めたのだから、当然の結果だ。だからこれを変えずして、地方に活力がうまれるはずがない。

その根本原因のひとつは法律の問題だ。憲法を中心として、法律、条令が定まっている。全国統一の法律では地方から新しい産業など生まれてきようがない。特区だといっても、すべて中央政府にコントロールしているだけで、目線はどうしても東京に向く構図となっている。

それだけ日本という国が強固であるわけだが、はて人口が減少に転じた2016年。2045年には人口が9000万人を割り、現在の3/4になるという未来が見えている。

経済発展はおろか、社会保障負担が庶民の生活を圧迫する。

どこかの時点で諦めるしかないのに、いまだに撤退できずにいる、まるで大戦末期の日本のようではないか。

撤退できない日本人

軍隊は民族の鏡である。日本軍は日本人の気質をそのまま表している。隠ぺいや捏造は日本人のお家芸である。別に日本軍に限らず、自衛隊でも、東電でも、どこにでも起こりうるのだ。

その日本軍があやまったのが、撤退戦である。戦争の負け方を知らなったのだ。

日本社会は少子高齢化と人口減少という大きな撤退戦に臨まなければならない。これまでとは異なる、違う時代がくるのだ。

地方の活力を取り戻すには、地方自治を強めること。地元民が地元愛にもとづいて本気で地元のことを考えて実行しなければ、本当の活力は生まれないからだ。

とはいえ、今の日本でどうやって中央集権体制を弱め、地方自治を強めるのか。実際にできるのか?

そりゃもう明治維新なみの大激動が必要だろう。マインドセットも変えなきゃいけないし、地域間抗争もあるはずだ。

明治維新の原動力は外圧にあった。今回もこの機に乗じて諸外国からの圧力、国がかすめとられそうな動きがあればそれに対抗するしかないし、そのためには今の中央政府が頼りにならない、むしろ九州独立といった動きがあってもひとついいかもしれない。問題はその活力が残っているのか、そもそも九州がいままで一つになったことなんか歴史的にないからそんなことが起きえるのか。

国とは何か?

そもそも国とはなんだろうと。国体を維持することがそんなにも大事なことなのか?

民衆は国民であるが、国のしもべではない。であれば、国を気にせずに自由に生きていいのではないのか? なぜ日本にこだわる、世界に目を向ければ経済伸長している国は多い。

それに人口が減るといっても9000万人もいるのだ。これだけの人口はヨーロッパ諸国と比べてもまったくもって多い。むしろ高齢者がいなくなった9000万人は健全な人口分布となる。だからその明るい未来にむけて、構造再編していくほうが理にかなっている。

民主主義の限界

この構造再編を阻むのが民主主義政治である。

民衆は50年後の日本のことより、今の自分の生活を優先する。その民衆の票を集めようとするのが政治家なので、長期的なビジョンや政策は打ち出さない。短絡的、狭窄的視野な政策しかない。例えば消費税は暫定8%のまま据え置かれているが、IMFからは22%程度までアップするように勧められているのにもかかわらずだ。このままでは財政破綻するのは時間の問題である。

そろそろ国がなくなってもいい

ではどうしたらいいのか。もう国、国体を維持するのをやめること。国にするメリットは貨幣を発行できることがあった。いわゆるFIATである。しかしこれからはブロックチェーン、仮想通貨がすすみ、実際上リアル貨幣はなくなっていく。どこにいっても価値は同じ価値、為替という概念もなくなり、銀行が複数ある必然性がない。

そうなったとき、日本円やアメリカドルにいったいなんの価値があるのか?メルカリ経済圏ではメルカリコインで決済でき日本円は介在しないで済む。

円を発行しない。

国そのものが仮想通貨に乗りだせばいいだけだ。実際にエストニアはその方向に舵を切っている、なぜならば歴史的にみてもすぐにロシアに侵略され、財産を失う危機感をもっているからだ。ブロックチェーンであればそういったことは起きにくい、なにせ通貨は世界中の帳簿に記帳されているからだ。

国がなくなったとき、なにが自分たらしめるのか。

それは地域であり、言語であり、歴史文化である。

だから日本人は日本列島に(基本)住み、日本語を話し、日本の歴史文化を理解している人のことをさすことになるはずだ。DNAはこの際あまり問題ではない。目の色や肌の色も関係ない。

日本の四季、自然にはぐまれた海の幸、山の幸を食し、健やかに生きていきたい。

そんなことを、瓊瓊杵尊が降り立ち住んでいたという笠沙の風景を見ながら思った。

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