なかなか興味深い考察です。
嫌消費 ~私たちが車を買わない本当の理由~ | 創職時代 ~新しい生き方 新しい働き方~ | 現代ビジネス [講談社]■自己顕示欲を満たしてくれる露出社会
しかし、私たちは今、その「自己顕示欲」を「モノ」に求めなくなっているのです。
というのも、物質空間を情報空間に拡張した「露出社会」では、自分の頭の「中味」を表現することができるということが決定的に重要なポイントになります。
物質空間のみに拘束されていると、なかなか人々の頭の「中味」を知ることはできません。街を歩いている人々がなにを考えている人なのか、わからない。だから、服装や話し方などで判断したりするわけです。でも、それが最近変化してきたわけです。ツイッターやブログのアカウントさえ知っていたら、人々の持ち物や外見だけでなく、頭の中味で人を判断できます。
そして私たちは、病みつきになってしまったのです。もはや中毒かもしれません。
「車なんて結局はどっかのメーカーがつくったもんだよな、所詮は自分とは関係ない他人のモノ。でも、自分の頭の中味は、自分のモノだ。これで、自己顕示欲を満たせるじゃないか!」
私はよくこんな質問をバブル世代の人々からされるのです。
「今の若者は心配になるくらい欲がないね~。」
それに対しては、今まで述べて来たとおり、とんでもない勘違いです。私たちはバブル世代のみなさんと同じ人間です。自己顕示欲をもってしまう、オバカな人間なのです。そんなオバカな私たちは、車を買うことに熱狂することから卒業して、露出社会で表現活動を行うことに熱狂を始めてしまったようなのです。
そしてその熱狂を後押しするような、仕掛けが露出社会には仕組まれているのです。
「評価」の可視化です。「いいね!」「フォロワー」「ブックマーク」、人々の頭の中味について、互いに批評し合うような、道具が揃えられつつあるわけです。ここで熱狂できる人々は、もう「車」には興味がないわけです。
車は、私たちにとっての自己顕示欲の発露となる媒介としての役目を終えてしまったのでしょう。
ある一面、ファッションとしてクルマをみていた人はそうかも知れません。
バブル時代は人気のクルマは投機対象となり、欲しくもないのに購入し転売するといったこともありました。あれは自動車としての機能性ではなく、証券や土地、株と同じ扱いでした。
なのでクルマは自動車としての機能だけでなく、色々な機能を持ち合わせているということです。その一部の機能、自己顕示欲を投影するファッションとしての機能に関して、この考察は興味深いといえるでしょう。
一方でクルマの本来の機能、自動車としての機能、移動する機能に関してはどうでしょう。最近の20代若者にきくと「(都内は)電車があるからいい」「(クルマが必要な場合は)レンタカーを借りる」というように経済観点から移動手段を選ぶようです。まあそれもいいでしょう。
その点私はというとどちらかといえばドライビングを「楽しむ」ことが主眼なので、どちらも当てはまりません。もっぱら他車が少ない、いない道路を好み、人の目を逃れて走るのですから「自己顕示欲の発露」とはまた違います。大いに「自己満足の発露」であり「ホビー」に近いですね。どんどん内面世界に引き込まれていくというか、研ぎ澄まされていく感覚。
そこにはモテたいとか、お金持ちになりたいといったような欲はなく、もっと純粋です。つまり愛です。見返りを要求しない、とにかく愛を注ぎ込むだけです。だから究極に楽しいし、未だに飽きるどころか面白くって仕方ありません。
⇒ドライビングのセンス・オブ・ワンダーを追い求める「ワンダードライビング」