「バカの壁」と「エコの壁」で環境問題を考える

最近TVに新聞に、雑誌に地球温暖化、環境問題、エコという文字を見ない日がありません。まあそのたびにいちいちチェックしたくなるわけですが、そんな気持ちを一掃させる気持ちのいい記事を見つけました。

「バカの壁」でおなじみの養老先生です。

「エコの壁」(上) 環境問題はなぜ理解できないか――養老孟司さんに聞く-インタビュー:日経Ecolomy

――環境問題はなぜ理解しにくいのでしょうか

 環境問題はシステムの問題だからだ。社会システム全体を考えないとだめ。部分的に解決しようとしてもうまくいかないから、環境保護の推進派もその反対の人も、時々ヒステリックに反応する

推進派も反対派も「ヒステリック」に反応しすぎ、とさりげなく指摘してます。私のエントリーもどちらかというとそういった類なのかも知れませんね。

そして、

日本の炭酸ガスの排出量は、世界の総量のわずか数%にすぎない。日本人がまったく出さなくても数%しか改善されない。改善に効果を見込める米国、中国の2つは京都議定書に参加していない。だから、日本では温暖化問題は精神運動に終わるしかない。

一刀両断です。一言でようやくすると「無意味」ですか。全体(システム)を考えれば、影響力が僅かすぎるということですが、小市民は身近なところの「部分最適」しか考えられません。


「エコの壁」(上) 環境問題はなぜ理解できないか――養老孟司さんに聞く-インタビュー:日経Ecolomy


一般的には文明とは「生活を便利にすること」だと思われている。しかし、それは表層的な理解にすぎない。本質的には、文明は「秩序の維持」なのだ。そして現代文明は、社会秩序を保つために、石油を使っている。

 たとえば部屋の温度は自然に任せていると勝手に変化する。だが一定の秩序を保たせるために冷暖房を入れる。その仕組みを維持しているのが石油エネルギーだ。電車が時間通りに来るのも、石油が足りなくなればあっという間に不可能になる。

文明とは「秩序の維持」であり、それに成立させるために「石油」を使っているとのこと。確かに石油に立脚した文明社会は石油がなくなると、いとも簡単に崩壊しそうです。しかしそれを真剣に考えることはないのは、、、

「死の壁」でも書いたように「あなたは死にますよ」と言われても、本気で死ぬことについて考えることは難しい。それぐらい、人間はバカで、そこに大きな壁があるのだ。

ここでいう「バカ」とは脳のシナプスがつながっていない状態、つまり論理的にはつながるはずべきところなのが、何かしらの理由によりあえてつながってない状態になっていること、です。

その理由とは「怖い」「不安」「信じたくない」などの心理的な要素が主で、論理的に考えれば非常にシンプルなことなのですが。その最たる例が「死」ですね。

人間は必ず死ぬわけで、それが明日なのか、30年後なのか、100年後なのかは分かりません。しかし寿命を考えれば、あと100年は絶対に生きられないので、確実に100年以内です。しかし死ぬ準備をしながら生きている人は余命宣告された人以外は余りいませんよね。私自身は余命宣告されてませんけど、あと10年~15年が寿命かなと感じながら、生きております。まあそれはともかく。

それと同様に、石油がなくなる、ということを考えられないのは同じことだ、と指摘してます。

「エコの壁」(下)「ほどほどの成長」に参勤交代を――養老孟司さんに聞く-インタビュー:日経Ecolomy

江戸時代が典型的だが、モノがうまくシステムのなかで循環していれば良い。それが持続可能性ということだろう。ただ、いまは江戸時代に比べて人口が多すぎる。自然環境をできるだけ破壊しないでこれだけの人口を維持するには、相当な無理が出ても当然だ。

 自然との調和を考えれば、人口は減らざるを得ない。だから現に減っています。本能的にはみんなわかっているからだ。

「持続可能」、いわゆる「サステナビリティ」を持ち出し、江戸時代が理想としてます。一方で現在の人口ではそれは無理だということと、少子化の原因が、人間の本能的な部分で自然に回帰しようとしていると新説を唱えてます。社会のせいじゃないんですね。

実際江戸幕府が270年も続いたこと、そして外圧がなければ倒幕もなかったことを考えると、日本がもしも世界であったならば、まだチョンマゲ、刀をさして、和服で歩いていたわけですね。

髪形も涼しげ、着流しも高温多湿な日本にピッタリ。温暖化とか言う前に気候に順応したファッションだったわけで、今みたいに欧米の低湿低温にあわせたスーツに革製品なんて、日本じゃそもそも無茶なわけです。その無茶を押し通すために石油を使って冷房するのか。現代社会はよくできてる・・・

「エコの壁」(下)「ほどほどの成長」に参勤交代を――養老孟司さんに聞く-インタビュー:日経Ecolomy

 アメリカに面白い小噺がある。ビジネスマンが成功して重役になり、休暇をとって南の島のビーチでのんびり昼寝をしている。ところが島の若者が周りでうろうろしている。そのビジネスマンは彼らに向かって説教を始めた。

ビジネスマン:「お前らもちゃんと働かないとだめだ」

島民:「働いたらどうなりますか」

ビジネスマン:「俺みたいにそのうち成功して、最後には休暇とってこういうところで休んで・・・」

島民:「俺たち最初から休んでる・・・」

経済発展で富を得るのが、絶対的な人生の目標だとしても、最初っから経済発展する必要もないわけです。今の世の中がまさにいかに作られた、いわばニセモノの秩序で回っているかということをさりげなく暗示してます。

とはいえ、テクノロジーの最先端を仕事としている私にはちょいと耳が痛い話ではあります。PCもネットもなくなっても全然困りませんけどね。