ブログはメディアの夢を見るのか

すっかりエントリーが遅れてしまいましたが、AMN主催の第二回ブロガー勉強会に少しだけ参加しました。

勉強会の中味はすでにたくさんのエントリーでカバーされているので、今回は初歩的な疑問について考えていきたいと思います。

前回の一回目の時も感じたのですが、この勉強会での「ブログ」が、いわゆる身辺雑記帳ではなく、マスコミに近い「メディア」としての定義での議論になっているようです。まあAMN(アジャイル・メディア・ネットワーク)主催なので、当然といえば当然なのですが。

しかしながら

ブログ=メディア

かというとそんなことはなく、

ブログ⊃メディア

ではないかと私は捉えています。

メディアとしてのブログ」を対象に悩みをあげると、既存メディアと同じような問題を内包してしまうようです。例えば基本的に一次情報を持たないブロガーは二次加工をせざるを得ないわけですが、一次情報の真偽をどうやって確かめたらいいのかとか、情報の公開性をどう責任をもつのかとか。また商品を紹介、評価するという場合は、報酬を得ることにより有意識・無意識のうちに内容について配慮したり。

メディアとしてのブログ」であるから、他のブログとのネタかぶりを気にしたり、反響・フィードバックが気になったりするのではないかなあと。

一旦メディアという括りをとっぱらって身辺雑記長みたいなエントリーを書くと、メディアとしてのまとまり感がなくなったり、ターゲット読者層がぶれるなど不安にかられるみたいです。

とはいえ、いわゆるアルファブロガー全員がメディアとして洗練されたエントリー構成になっているかというと実はそんなことはなく、個人像が浮き上がるような、本人の身の回りで起きたことをうまく混ぜることでスパイスを効かせている、そんな印象もあります。特にそういった情報はまさに一次情報で、本人が見知ったことなので、強い印象を与えるのではないでしょうか。

ですから「メディアとしてのブログ」と肩肘はっちゃうと、ネタが尽きたり、悩んだり、しまいには書けなくなっちゃうのかなあと、そんなことを感じました。

NHKの「クローズアップ現代」では身辺雑記帳と(メディアとしての)ブログという線引きをしていたのですが、別にシステム的に特に線引きはなく、ブロガーがどういった内容を書くかによってシステム如何を問わずなんにでもなりえるし、私はブログが身辺雑記帳でいいじゃない、いや寧ろその方が広がるんじゃないかなと感じるわけです。誰もがネタフルになれるわけでもなく、あるセル化した領域に特化し、プチヒットすることで少ない読者でもパーミッションを得られればそれはそれで成功じゃないかと。

だから個人ブログではPVやUU、はてぶ数とか余り気にしなくていいんじゃないかとも思うわけです。

これがマーケティング用途とか、メディアとして立身出世したい場合は、まああの手この手が要るとは思いますけどね。PVやpagerankと「影響力」は比例しないしなあ。いやはや、このへんはアルファな方の体験談がやはり一番参考になりますね。