バイクは危ないから、「(免許)とらせない」「(バイクを)買わない」「(バイクに)のせない」という3つの「ない」をとって3ない運動。
3ない運動と訴訟、死亡事故(殺人事件)
PTAが中心となり全国の高校で展開された3ない運動は、当時の行き過ぎた校則ブームとあいまり、社会的な問題となりました。行き過ぎた校則とは身なりやファッションにも及び、たとえばパーマ禁止、スカートの長さや、前髪がまゆ毛の上になければならない「オンザマユゲ」は何センチと細かくきまっており、違反したら生徒指導部が厳しく指導するという状況でした。
そんな中、1990年に遅刻厳禁、1秒たりとも遅れてはならないとして鉄の門をスライドして閉めた先生が生徒を挟み殺すという痛ましい事件も起きています。
そもそも国は16歳から免許をもち、運転することを認めています。にもかかわらず、学校が生徒であるからという理由でバイクの免許取得やバイク取得、運転を規制することが可能なのでしょうか?
いくつかの訴訟でその点が争われています。
子どもの権利と学校の規律権能 - 子どもの権利条約批准にあたっての「学校=法外特殊部分社会」論批判 -(4) 修徳学園バイク校則違反退学処分事件東京地裁判決 [註27] 1991年5月27日判決
①事件と判決の概要
東京都葛飾区所在の私立修徳高校は、校則で「無届けでの自動車類免許取得及び乗車については、退学勧告をする」等と定めていた。原告生徒は無届けで自動二輪免許を取得、自動二輪車を購入していたが友人が1987年11月、自動二輪運転中に交通事故死したことに衝撃を受け自動二輪を売却、免許を父親に預けた。同年12月、同校教諭から言われて運転免許証を提出し、基本的に乗っていなかったが、翌年1月22日の自主退学勧告を経て退学処分にされた。原告は、この退学処分を違法として損害賠償を請求し訴訟に及んだ。
裁判所は、学校の指導・対応、原告の乗車行為の態様、性格及び平素の行状、当該退学処分の他生徒に及ぼす訓戒的効果、家族の態度等、この事件の具体的事実に立ち入って検討した結果、「本件退学処分は、社会通念上著しく妥当性を欠き、懲戒権者である校長の裁量権の範囲を逸脱した違法な処分である」として、要するに「被告は原告に対し、慰謝料・金108万4700円及びその利息分を支払え」との判決を下した。
要約すると、こっそりバイクにのってたけど友人が死んだにショックを受けバイクを処分、バイクの乗るのをやめて反省しているのにもかかわらず、学校から退学処分を受けたのを不服として訴訟を起こし、処分は行き過ぎと認められたものです。
この判決文の中で3ない運動の校則については、部分社会論的立場から学校側の裁量を認めています。
子どもの権利と学校の規律権能 - 子どもの権利条約批准にあたっての「学校=法外特殊部分社会」論批判 -判決文抜粋
<5>以上によると、本件生活指導規定が憲法13条に違反するとの原告の主張は道路交通法との関係を見るまでもなく採用することができず、右憲法違反を理由として本件退学処分の違法をいう原告の主張は、前提を欠く。」
<7>(この段落、要約。)(G)学校設置者は、生徒を教育するという在学関係成立の目的に関連する限りで生徒の校外での活動についても規律することができる。本件高校をとりまく事情の下では、これを規制することも、学校設置の目的達成のために許される。本件高校における免許取得・バイク乗車の禁止の校則は、社会通念上十分合理性を有する。
なお、私学ということもあり3ない運動は違憲、という指摘は認められていません。しかし「子供の権利条約」という条約に照らし合わせると、学校が法外特殊部分社会であり、学校、教諭が法外な権利をもち、(憲法で約束された)幸福権を侵害することにたいしては批判が集まってます。
子どもの権利と学校の規律権能 - 子どもの権利条約批准にあたっての「学校=法外特殊部分社会」論批判 -批判
教育のためなら教育関係者の叡知によって「社会通念上」許される範囲まで学校外の生活にわたって憲法上の所有権や道路交通法という法律によって認められた権利をも学校が制限してよいと言う。この憲法や法律の規定を越えた「社会通念」の許す範囲を判断するのは、まずは学校であるとされる。学校はまさしく法外に大きな力を認められるわけである。ここに、この判決が本件退学処分の違法性を認めてはいても、本稿の言う「学校=法外部特殊分社会」論に立つものであることが明瞭に現れている。
行き過ぎた校則、そしてそれを厳しく取り締まる学校、教員。その結果として校門圧迫死だったわけですが、3ない運動においても、生徒指導教員がバイクにのっていた生徒を追いまわし、事故死に追い込むといった事件も起きました。
三ない運動 - Wikipedia1994年5月に福島県で、バイクを運転中の高校生が生徒指導教員の取締りの車に追われて逃走中に事故死した事件が問題となり、運動に対する社会的批判が一層、高まることとなった。
その後3ない運動を推進していたPTAでも流石にトーンダウン、2012年頃には社会情勢が変化(暴走族が下火)したこともあり安全運転指導へと方針転換しています。
参考リンク)
⇒ 修徳高校バイク退学事件(東京高判平成4・3・19)|憲法判例解説
三ない運動|ヤマハバイク専門店.com|東京都杉並区|TMAX530/YZF-R15「という事があって、免許とれないんっすよオレたち・・・・」
本当にかわいそうでした。 免許が取れる状況だっだらアルバイトでお金貯を貯め、バイク買って友達みんなで夏休みに海へツーリングに行くのが夢だと・・・熱く語っておりました。 学校に若者の自由を奪う権利はありません。 暴力的とも言える弱い者への仕打ち、もうそろそろ考え直さなければいけない時期ではないでしょうか。
高校生のバイク「解禁」は?群馬県警と教委対立 : サッカースパイク「運動は高校生を車社会から遠ざけている。運転免許取得を前提とした交通安全教育を行うことが望ましい」と求めた。
それでも残る、「バイクは危ない」イメージ
二輪車市場動向調査、「三ない運動」の方向転換...ほとんど認知されず | レスポンストピック調査では、高校生に対して「免許を取らせない」「買わせない」「運転させない」をスローガンとし、1970年代に愛知県で始まった運動が全国に広がっていった「三ない運動」の方向転換については、一般市民、中高生の親ともにほとんど認知されていない。
方向転換には、総論では賛成であるものの、自身の子どもが二輪車を運転することについては、特に母親に抵抗感が強い。中高生の状況についても、地域によって差はあるものの、親の時代よりもさらに「二輪車に乗ってはいけない」という規制が強まっている傾向がうかがえる。
危ないから二輪車にのってはいけない、というのは危ないから包丁を使ってはいけない、火をつかってはいけない、というのと同じ。道具は使い方次第であり、習熟度によって上達度が変化するものであれば、一層正しい使い方や危険性、ルール、マナーを教えるのが本来の教育のはず。
学校が、親がその教育を放棄すること自体、無責任極まりない行為なのです。本田宗一郎氏、ホンダもこのように言っています。
三ない運動 - Wikipedia本田技研工業の創業者である本田宗一郎は生前、著書『私の手が語る』にて「教育の名の下に高校生からバイクを取り上げるのではなく、バイクに乗る際のルールや危険性を十分に教えるのが学校教育ではないのか」として運動を批判している。
後年、本田技研工業会長で日本自動車工業会会長に就任した池忠彦は、「高校生の入学説明会で、高校生にバイクは不要というビラを配る県がある。そういう県の主張は、高校生の事故はないということだけだが、(在学中の)3年間の事故が減っているというだけで、高校生が自転車に乗るとき、(社会人になって)自動車に乗るときはどうだということは思考停止している。ものすごい危機感はある」と、名指しこそ避けたものの、三ない運動を推進している地方公共団体の状況について批判している。
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バイクは危ないです。こければ怪我するし、バイクも壊れます。これは2輪車共通の特性で、では自転車はどうなのでしょうか? 自転車も同じですが、その危険性は余り気にされていません。むしろヘルメットも被らず、フラフラと車道を走る自転車はどうなのでしょう? しかも交通法規も、交通ルールも知らない免許を持たない学生が、です。
オートバイの免許をとる、というのは教習所内という安全な場所で2輪の運転特性、不安定性を体感し、運転方法を練習、交通法規を学び、交通社会への糸口となるものです。
それが「オートバイの免許をとる=危ない」、というのは思考停止、または飛躍しすぎでしょう。危険から遠ざけること、ゼロリスクはすなわち安全ではないのです。
参考リンク)
⇒ 道路:効果的・効率的な交通事故対策の推進 - 国土交通省
ゼロリスクは思考停止
スポーツには危険がつきものです。スキー、スノーボードしかり、骨折という怪我だけでなく、死亡事故もあります。ミハエル・シューマッハのスキー事故では未だに病床にいると言われています。
(この写真をとった後、スノボの子が手首を骨折)
柔道だって死ぬし、野球、テニス、バスケ、サッカーでも怪我はつきもの。あれだけ危ないといわれる組体操も別段禁止になってません。
交通という側面でいっても、飛行機は落ちれば死ぬし、実際メーデーを見ていると世界中でひっきりなしに飛行機は落ちています。でも飛行機に乗るわけです。通勤・通学電車でも日比谷線で通学中の学生が亡くなっています。
バイクは交通手段だけではなく、趣味性、スポーツの側面が強いので交通事故だけを取り沙汰し、危ない危ないというのは、思考停止です。
二輪車は若いうちに乗せなければならない
バランスを保って乗る二輪車をなるべく若いうちに乗せるのには理由があります。それは人間の成長過程とバランス感覚を養うことは両輪だからです。成長過程が終わった、つまり大人になってから初めて自転車に乗った人をみたことがありますか。フラフラして危なっかしいうえ、なかなか上達しません。逆に幼児の頃に自転車に乗せると、半日もあれば乗れるようになります。
同じことはバランスを保つものすべてに共通しており、一輪車、キャスターボード、ストライダーもゴールデンエイジと呼ばれる時期に習うことバランス感覚が養われ、体幹が鍛えられます。これは身体の成長期と合わせることが肝要なのです。
⇒ スポーツ・習い事は何歳から?|子どもの習い事、スポーツガイド|チームスポーツの勧め
オートバイはたとえエンジン(原動機)がついた乗り物であっても基本は二輪車。プロライダーのほとんどが幼少期から二輪車をはじめていたことからも自明です。
オートバイはフォース? 精神の成熟も必要
とはいえ、自分の筋力を越える力を出せるエンジンがついたオートバイはある意味スターウォーズでいえば「フォース」の側面を持ちます。つまりライトサイドとダークサイドの二つを兼ね備え、うまく使えば楽しく、遠くへ、速く行くことができます。一方ダークサイドに落ちれば他者や、自分に危害を加えかねないという、まさにジェダイとシス。暴走族もシスの一種ですかね。
強大な力を使うには、成熟した精神が必要。そのためには修行や鍛錬が必要です(SW sp5)。
アナキンが当初ジェダイになることを拒否されたのは、スタートする年齢が遅すぎるという懸念があり、結果的にはそのようになりました(SW sp2)。やはりスタートは早くなければなりません。
スピードは麻薬と言われますが、ダークサイドに落ちるのもそのスピードの魔力に引き込まれるから。本田宗一郎氏のいう、正しい二輪教育とはまさにライトサイドを地でいくものでしょう。なんだか本田宗一郎氏がマスター・ヨーダに見えてきました。
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交通事故の実態
バイクは危ない、というイメージは2015年現在でも本当なのか、統計情報を調べてみました。
東京都 H27上半期
◎歩行者
発生件数 2787
死者数 31 (1.1% 死者数/発生件数)
負傷者数 2828
◎自転車
発生件数 6073
死者数 17 (0.2%)
負傷者数 5444
◎二輪車(原付以上、自動二輪)
発生件数 3334
死者数 23 (0.7%)
負傷者数 2677
発生件数では自転車がトップ、ついでオートバイ。
死者数では歩行者がトップ、ついでオートバイ。
事故にあったときに死亡する確率は歩行者がトップ、ついでオートバイ。
東京都の人口が約1300万人、自転車保有台数も900万台(H20、東京都自転車総合政策検討委員会報告書 )以上に対して、オートバイの免許取得者数は 146,481 (H27、都内、警視庁の統計(平成26年) :警視庁)なので一見事故率が高いようにも思えます。
しかしオートバイ免許をもっている人は歩行者にも、自転車乗車にもなりえるわけで、例えば今日は歩きじゃなくってオートバイにしよう、といっても極端に事故の数が増えるわけでもない(2787→3334)ですが、オートバイじゃなく自転車に乗ると事故の数が増える(3334→6073)といってもいいでしょう。
若いから危険? リターンライダーが危険?
次に年齢別に免許10万人当たりの死亡者数を見ます。
ソース⇒ 統計表一覧 政府統計の総合窓口 GL08020103 免許表18より抜粋
16-19歳が12.30人、16-24歳の平均が6.71人、全体平均の3.90に比較すると圧倒的に高い数値となっています。
<中高年ライダー>ご用心 「リターン」若い頃とは違います (毎日新聞) - Yahoo!ニュース警察庁によると、昨年のバイク(原付きを除く)による事故死者数は442人で、2004年(675人)より3割以上減った。しかし、このうち中高年(40、50代)は昨年177人に上り、04年(93人)のほぼ2倍になった。39歳以下は毎年減少しており、中高年の割合は昨年40%と、04年の13%から急増した。
一方リターンライダーの事故が問題となっている40台は3.0と意外と少ないですが、免許取得数と実際に走行しているかまで分からないので、なんともいえません。例えば免許取得者のうち 1/4しかバイクに乗っていなかったとしたら、12人となり 16-19歳と同等となってしまいますので、実運転者数が欲しいところです。
我が家では公道二輪禁止
実は我が家では子供に対し、公道二輪禁止、というポリシーで運用してきました。小学校5年生、10歳から部分解禁し、サイクリングロードや自動車と混合しない道路でのポタリングは走行可としています。これは二輪が危険、というよりも野間家の血統、ダークサイドに落ちやすい(スピード大好き)ことが大きな要因。
10歳で分別もつき、親のいうことも理解できるようになったこと、つまりある程度成熟したことから親同伴でのポタリングを許可した次第で、子供専用の自転車があるわけでも、公道を自由に走行できるわけではありません。ある意味普通の家庭よりも二輪に厳しい、3ない運動を実践してきたのが我が家。ちなみにその時は親も二輪禁止でした。
(そういえば「幼児虐待だ」とまで批判されましたね、子供への二輪禁止。)
子供に二輪「部分」解禁をしたので、親も自転車やオートバイに乗るようになりました。
⇒ 我が家は自転車禁止:中国化している学園都市とiPad - のまのしわざ
⇒ 公道二輪禁止の我が家に自転車がやってきた - のまのしわざ
その私が子供には16歳になったら自動二輪免許をとってもらおうと思っています。教習所という安全な場所において、二輪の特性を理解しつつ練習し、交通法規を学ぶには最適だからです。
またただ手をこまねいて年をとるのを待つのではありません。ゴールデンエイジは限られた期間です、その間にバランス感覚を養うことは可能。
⇒ 小金井公園で初めてのキャスターボード(Ripstick・ブレイブボード) - のまのしわざ
⇒ 「モトクロスごっこ」で、はじめてのオートバイ体験 - のまのしわざ
⇒ 「モトクロスごっこ」再び。親子でオートバイ・モトクロス体験&スキルアップ - のまのしわざ
そうです、もうオートバイ乗せてます。
バイクに必要なのは、運転技術と精神的成熟の両輪=つまり二輪、心技一体です。子供の成長期に合わせて、運転技術を磨き、交通社会の一員となるべく教育することが大事。免許が不要な自転車であっても、車道を走ることが原則となった今、交通法規を理解し、ルールとマナーを守って交通社会に加わることは教育の一環として必要なのです。
交通弱者だから知らなくて大丈夫、相手が避けてくれる、事故がおきても責任は全部相手がとってくれるという他者依存の精神は自爆テロ以外のなにものでもありません。
現実問題として
二輪(オートバイ、自転車含む)に対し依然無理解と劣悪な交通環境を鑑みると、実際問題子供に対してオートバイを(自由に)乗り回せるようにするにはまだまだ時間が必要です。たとえ16歳で自動二輪免許をとったとしても、都内二輪禁止は保ったままでしょう。
しかし夢は親子2代で北海道ツーリングをすること。
その目標に向かってフォースのライトサイド、心技一体の安全教育を進めていきたいものです。