心配性の過干渉が子供を危険にさらす

とある私鉄の駅のホーム。電車通学の私立小学生が数人、ホームでじゃれていた。そのうちに他のグループも合流し、その数は6-7人に。みんなしてホームの端っこへ。

イヤな予感がしたので、目を離さずみていると、一人がホームから線路に降りた!

それまで無視を決め込んでいたが、これはイカンと走りだして「危ないよ!」と一喝。

おりた本人はまったく悪びれてない上、電話かかってきたからといってどっかに行く始末。

他の子に危ないし、絶対真似しちゃいけない、友達がやるのを止めてと言ったところ、止めたのにやったとのこと。問題児は問題児である。

その問題児が帰ってきたので、改めて危ないよ、死ぬよ、死んだら両親が悲しむよと諭す。ただ、まったく無反応。他の子の方がちゃんと話をきいて理解している様子。

その後、同じ電車にのったので観察を続けているとその問題児は忘れてきたのか制帽なし。何度も電話がかかってきて、ある駅についたら、

「あ、(下りる)駅過ぎちゃった」

と電車を降りていった。どうやらお母さんとその前の駅で待ち合わせをしていたようで、何度も電話がかかってきていたのだった。

ここからは想像と推測。

おそらくその親はとても問題児のことを気にかけていて、あれこれ危ない、といっていたに違いない。心配性、過敏に不安になるタイプ。そうでなければ数分に1回も電話をかけてこないだろう。

駅を通り過ぎたり、制帽を忘れるうっかり者。自分で自分のことを気を配れない子に育っているのは、親が干渉しすぎたから。

その結果危険察知をする能力が衰え、線路に降り立つというバカな真似を平気でする子になってしまったのだ。降り立った1分後には特急が猛スピードで駆け抜けていったことを考えると、いつ間違いがあってもおかしくない。

危険を排除し続けた結果、本人が危険察知、危険回避する能力が育たなかったのだ。

これはこの子だけの問題ではない、社会全体の問題でもある。だから怖いオジサンとなって、烈火のごとく叱った。年をとるということは、そういうことをやる役回りでもある。

極論すればその子が死んでも仕方ないと思う。しかしその子に惑わされて、真似した他の子が死んでしまうのは可哀そうだし、あってはならない。

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(写真:通潤橋)

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NO 手摺、NO LIFE

なんかあるだろうと上がってみてびっくり。なんもないんです。落ちたらまっさかさまに、デザイアってやつですよ。さぞかし毎年犠牲者がでているだろうと思ったのですが、なんと転落事故はゼロ。過保護になりすぎない方がいいのかもしれませんね。ずいぶんと示唆的な話です。

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