父子鹿児島旅行2018 Day2:野間岬を訪ねて


父子鹿児島旅行2018 Day1:鹿児島市内~桜島 - のまのしわざの続き。鹿児島旅行2日目です。


維新ふるさと館

鹿児島観光のメインはここ「維新ふるさと館」の、体験ホール「維新への道」である。

何がすごいって、これは明治維新から西南戦争まで、具体的にそれぞれの偉人たちのリアルな人形がみぶり手振りをしながらトークして解説することで、歴史を体感できること。

これを中学3年生の子どもに見せたかったわけです。

なにせ昔きたのは12年前ですからね、そもそも分からないどころか人形怖い、ギャーで終了。

明治維新を作ったのはここ薩摩である、という自負と実際にその駆動力の多くは薩摩出身者なのでまあこうならざるを得ないわけですが、それにしてもなぜここ薩摩が明治維新を成し遂げたのか。

その理由を簡単にいうと、前日訪れた東福寺城に住んでいた島津家が「島津家に暗君なし」といわれるほど歴代名君ばかりだったこと。特に斉彬は財政改革を行い財務体制を立て直すと同時に地勢を活かして西洋技術を積極的に取り入れ、製鉄所などを作り、日本初の黒船(軍艦、蒸気船)をも作っている。


(資料:黎明館の展示より)

これらの武力、経済力を背景に明治維新へとなだれ込むわけですが、そのキッカケが生麦事件。


薩摩藩士が参勤交代の時に無礼だといってイギリス人を殺害、イギリスが賠償金と犯人の処刑を求めるもこれを拒否。薩英戦争が勃発。

薩英戦争は圧倒的な火力と海軍力をもつイギリスが優勢と思いきや、練度の高さで健闘。町は焼け野原になって事実上敗戦、賠償金の支払いと犯人逮捕へと動くが、これをきっかけにイギリス留学などさらに海外施策を進めた。

この薩英戦争に参加したのが同じ街出身の東郷平八郎、その後の日露戦争、バルチック艦隊を破る司令官である。

「西郷どん」で湧く鹿児島だけど、いいイメージはなく、野間家の人気はもっぱら大久保利通。目立たないのが残念。

城山

鶴丸城は平城で天守閣を持たないが、実質はこの城山が後ろに控えていたためであろう。西南戦争では最終的にここにたてこもり、官軍が攻めてきた後西郷隆盛は近くで自害している。

この城山には中国人観光客が団体バスで朝からどっと押し寄せ、かなり人出は多かった。

山を下ると鶴丸城へ至るが、なかなかよい散歩道でもある。

鶴丸城

鶴丸城跡には西南戦争の弾痕が石垣に残る。

本丸跡はその後医学部など学校施設が入っていたが、今は資料館となり鹿児島の歴史を伝える。


(在りし日の鶴丸城)

万世特攻平和祈念館

鹿児島を離れ、一路野間岬へ。

向かう途中立ち寄ったのが特攻平和祈念館。以前知覧にいったことがあるが、今回は知覧は寄らずに万世へ。

鹿児島はその地勢から特攻基地があり、実に多くの若い命が失われたことは記憶にとどめておきたい。風化させていはいけない歴史である。

その飛行場跡は今はメガソーラーとキャンプ場に転じている。

笠沙恵比寿

本日のお宿はここ笠沙恵比寿。野間岬の野間池わきにある、博物館を

シーズンオフということもありこの日の宿泊は我々だけ。え、春休みなのに?

「わざわざ遠いところきてくださってありがとうございます」

と言われたほどであった。

確かにマリンレジャーがメインの施設なので、夏がハイシーズンに違いない。

さあ、これから子どもが大好きなレンタサイクルを借りてのお散歩。

野間尽くし

実はここに来た理由は、地名が「野間」だからだ。野間岬、野間池、野間岳と野間ばかり。小学校の時に地図で発見してから40余年、いつかは来たいと思っていたがその夢が今回実現した。

いやー、野間ばかりで嬉しい。

ちなみに野間池とは漁港となっている入江のことである。なぜ池なんだろう?

釣りも盛んのようだ。

やめてほしいサイクリング


サイクリングは平地に限る。しかしウィンドタービンが立ち並ぶ野間岬は当然坂道。標高にして100m余りを一気に上らなければならない。

ガンダムは18m。
コンバトラーVは57m。
100mオーバーとはイデオン並みである。


「チャリできた」だが、チャリで来ないほうがいい。まじでつらい。

道は細いのでクルマがきたら一発で事故である。

博物館

せっかくなので宿の博物館へと寄ってみる。するとこんなものを発見。

「野間神社」!

これはもう行くしかない。野間神社は野間岳の中腹にあるという、クルマを飛ばしてレッツゴー。

野間神社

野間神社への道のりは遠く険しい。野間岳への登山道への途中にその野間神社があるからだ。

そして現れた野間神社。

ここで子どもと賭け。この石段は何段あるのか、というもので私は56段と予想。すると、なんとピタリ命中させてしまったのだ。なんという偶然、さすが同じ名前だけのことはある!?

なぜこの名前になったのかは分かりませんが、瓊瓊杵尊を祭っています。船乗りや漁業関係者の信仰を集めたといいますが、ちょうど私が船のプロジェクトをやっていることもありちょうどよかった。

野間岳の山頂にもチャレンジしたかったものの片道35分、往復で1時間以上かかることから断念。次回来ることがあったら絶対に登りたい。

笠沙宮跡

瓊瓊杵尊が居を構えていたという住居跡。

うっそうとした森の中の急斜面を上がっていくと、集落があったという場所になるのですが、今どきの林間キャンプ場もこんなところはないと思うほどの険しい、狭い場所。

おそらく当時は周辺の木は燃料にされてほとんどなく、ここから綺麗な夕日が見えていたに違いありません。


近くの展望台からは綺麗な夕日が見えていました。


夕日が丘

さらに野間岬まで戻り、夕日が丘展望台へ。ちょうどまさしく今岬に夕日が沈んでいくところ。間に合った!

最高の夕日を息子とともに迎えることができました。