日本の石文化:熊本県芦北町の眼鏡橋

熊本といえば熊本城の石垣が有名ですが、これを作ったのは「肥後の石工」と呼ばれる職人たち。その石工の末裔たちが街に作ったのが「眼鏡橋」です。


(門口眼鏡橋)

肥後の石工年表

「肥後の石工」といっても、県内各地に様々な系統があり、調査が進むに従い、数多くの石工の存在が判明してきました。本ページでは、その中から、加藤清正の熊本城築城に関わった「近江の石工」をルーツとする「仁平石工」グループと、長崎奉行所の武士「藤原林七」を祖とする「種山石工」グループの2つの大きな石工集団に絞って、石匠館のパンフレット等を参考にしながら紹介致します。

石匠館

肥後の石工のふるさと八代市東陽町にある「石匠館(せきしょうかん)」を紹介します。石橋を知るには、県内唯一の石橋の博物館「石匠館」を訪ねるべきです。

石垣マニア、石橋マニアは是非訪れるべき聖地といってもいいでしょう。まあ本当の聖地は石橋そのものなのですが。

ということで石橋、通称「眼鏡橋」を探しに芦北町まで(2008年9月に)行ってきました。今回訪れたのは

・門口眼鏡橋
・橋本眼鏡橋
・塩屋眼鏡橋

眼鏡橋といっても2つアーチがあるわけではなく、1つです。

場所はgoogle mapから。


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