6街道全て日本橋起点、明治天皇行幸に倣い本日はここ日本橋からスタート。
しかしそのままは進まない、なぜならこの日本橋とその上流にある常磐橋は石橋、眼鏡橋として最新にして最高の作品であるからだ。
特に常磐橋は現在リノベしており綺麗になっていて今年には整備された公園とオープン予定。
トキワは皿を使うと割れる、ということで縁起をかついで石の常磐を使うはずなのだが、貴子じゃないのに常盤の文字が。
そしてこの界隈、魚河岸になっており沢山の船が集まっていたという。
有名な富嶽三十六景の神奈川沖浪裏は伊豆で取れた鮮魚を帆と人力のハイブリッド走で一晩でこの魚河岸に届けたという。特に初モノ、一番鰹を喰らうことをイキというが、粋と活をかけていて、江戸っ子のこういう気概のことをいうようになった。
高く売れることや鮮度が命なので、まさに命懸け、高潮押し寄せる海況であっても船をだしており、それをわざわざ船チャーターして描きに行った葛飾北斎もイキである。
この魚河岸は明治になり、現在の築地に移転、長らく列車、その後はトラックと物流は変化。現在は豊洲でこの日本橋川に架橋された首都高速を通じてやってくる。水運からトラックへ。
変化する物流、この後変化しないとでも?
なんてこと考えながら散歩するの楽しい。
タイムトラベラー夢想
はっここはどこだ!?
見慣れない街並み、しかし日本語が聴こえてくる。私に起きたことを詮索するよりもまずは江戸城の主、慶喜様の元へ駆けつけねば。昨今は桜田門外で大老が斬られるなど、江戸といえども治安が悪く、こうしている間にも尊王攘夷派の輩がお命狙いに押し寄せているやもしれん。
記憶と手に持った地図を頼りになんとか江戸城にたどり着くもそこにあった碑は
江戸城跡
跡だとぉ?
立派な櫓門は消え去り、陸蒸気の駅に一直線に伸びる行幸通りは雅な石垣を切り崩し、二の丸にあった我々の住居は薙ぎ払われ砂利の空き地になっている。なんということだ...
慶喜様はすでに大政奉還をし、無血開城したと聞くに、流石は日本の将来を考えた慶喜様である。お仕えした甲斐があったというもの。
なーんて幕末藩士がタイムトラベラーになったらという設定で散歩すると、メガネ無しでAR映像が瞼に浮かび上がってくるので楽しい。
街道筋には甘味
見たら即買って携行食にもって小腹減ったら歩きながら食べる。なるほど、当時もそうしてたに違いない。
夕飯は通ってた半蔵門の欧風カレーのテイクアウト。相変わらず美味しい、最高。
店はずいぶん入れ替わったが、市ヶ谷のテキサスは現在。