誰が為の参勤交代 #旧甲州街道散歩

街道筋の整備と参勤交代はセットである。その参勤交代について昨今歴史解釈が揺れているという。多くの教科書では参勤交代は諸大名を財政的に苦しめる目的で「無駄な」往復を強いたとする向きだが、実際にはそれは結果論であり、むしろこれは軍役であり豪華な大名行列は見栄を張った諸大名に原因がある。

実際三代将軍家光の発した武家諸法度(寛永令)にはこう定めている。


大名や小名は自分の領地と江戸との交代勤務を定める。毎年4月に参勤すること。供の数が最近非常に多く、領地や領民の負担である。今後はふさわしい人数に減らすこと。ただし上洛の際は定めの通り、役目は身分にふさわしいものにすること。

これが表向きなのか、それとも暗喩なのかは解釈が分かれるが幕府としては首都警護のためのお役目を果たせてほしいだけなので、豪華な大名行列はまったく欲していない。

街道筋の経済効果としてはもちろんプラスだが、それは中央集権に慣れきった現代人の感覚。幕藩体制とは地方分権そのものであり、街道筋が潤うだけである。そもそも軍事力を各藩が所有していること、藩の単位がそのまま「国」の単位となっていることからも明らかである。

その点倒幕し新政府が誕生したときに「国」の単語を再定義しなかったことが悔やまれる。本来なら国は各藩、各地方のことを指し、日本全国はもっと別の単語だったらより理解しやすかったに違いない。united nationとか、英語かよ。

余談だがなぜ海軍が「連合艦隊」だったのか。それはもともと艦船は各藩で購入、所属していたものであるため、それをまとめたので連合。戦艦が国の名前をつけていたのもその影響。

それはともかく、江戸幕府としては首都警護をしてほしいし謀反はしてほしくないだけだったのだが、結果的には田舎者がハレの舞台として見栄張を押し通し、それを目当てに見物客も現れ、街道筋は賑わい、そして旅行の庶民化に至り伊勢参りなどいわゆる「聖地巡礼」が流行る地盤固めとなった。
このへんの気質がまさに日本人の日本人たる所以であり、日本人の旅好きの根幹を作ったのだろう。go to トラベルのベース。
そしてその旅の基本は「徒歩」である。徒歩、人力でなんでもしてしまう。人力万歳。
それが太平洋戦争の悲劇を生むのだが。特攻とか。

利用する藩が少なく街道筋が余り栄えなかった甲州街道であるが、それでもあの狭い道を大名行列が通ったかと思うとムネアツである。
150藩ほど利用したといわれる東海道はそりゃあもう毎日どこかの藩の大名が行き来してるわけだろうから、賑わうわけだ。
甲州街道が終わったら東海道に挑戦したい。

#旧甲州街道散歩

参考文献