スタートアップと極地探検の共通点


少し前の話であるが、ノルウェーのオスロにあるフラム号博物館を訪れた。

この三角屋根はそのまま船を保管している保管庫の形状であり、港の側でも同形状の建屋が散見される。高い三角屋根はもちろん高いメインマストのためである。

フラム号

フラム号はナンセンが北極海調査を行うために作った特殊船である。それまでの船が氷に閉ざされ、移動できずにそのまま氷に潰されて難破することを目の当たりにし、丸い船底で力を逃がして結氷した氷の上に乗り上げ、そのまま潮流にのって漂流しようという野心的な設計となっている。

エンジンを搭載するが、さらに風車による発電設備を甲板上に設置、さまざまな海洋調査のためのセンサーや機材を駆動することができる。

アムンセン

ナンセンがフラム号で極地探検を行った当時、アムンセンは極地探検に魅せられた若者であった。フラム号へ応募したがその夢は叶わなかったものの、その後もずっと極地探検を夢見て技術や知識を蓄えていった。

ここで改めて言葉の定義をしたいがここでいう「探検」とは広義である。ジャングル探検、というのは闇雲にジャングルを彷徨うようなイメージがあるが、実際には目的をもっており、北極海探検は北西航路を開くための調査、研究というのが実態である。海図すらない、また冬になると氷に閉ざされる北極海の中でどうやったらヨーロッパとアメリカをつなぐ最短経路を開けるのか。これが当時の最大の関心事であった。

アムンセンはこれに挑むがそれには資金と装備、そして乗組員が必要である。研究、調査、操船するだけではなく、長い航海をする中で必要な日常生活を営むためのインフラ整備。途中補給も叶わないため、綿密な計画と臨機応変な対応を必要とされる。

北西航路横断での知見

アムンセンは3回の越冬を経験し、その知見をまとめている。

特に大きいのは現地、イヌイット族との交流である。

イヌイット族から越冬に最適な装備を知り、その後の装備やチーム構成に反映されている。

最新テクノロジーの導入

極地探検において最も大きなイノベーションは「犬ぞり」である。

イヌイット族は犬ぞりを使っていたがそれはオートバイのような一人乗りの乗り物であった。アストラップの開発した「犬ぞり」は多頭立てで荷物も運べ、人間も乗れる点でイノベーションとなる。

イギリス・スコット隊 vs ノルウェー・アムンセン隊

債権者からの取り立てを逃れるようにしてヨーア号を北西航路探検に向けたアムンセン隊は、その成功を元に調査・研究やその後の多くの有料講演により返済を行うことができただけではなく、国民的英雄となった。

そのアムンセンの次のターゲットは極地到達である。ところがすでに各国の到達レースとなっており、北極点を目指していたアムンセンはアメリカ隊に先を越されてしまったことから目標を南極点へ変更。英国のスコット隊と同年同時期にアプローチをすることとなり「レース」「一気討ち」の様相を呈して国をあげての期待を背負うことになる。

アムンセンが現場本場主義で、チームもエキスパート(経験者)や技術者(職人)を中心に構成するのに対し、スコット自身が海軍軍人ということからも分かるようにエリート軍人を中心に組織したものと対照的である。

また装備もアムンセンが犬ぞりを中心として犬を数多くそろえたのに対し、スコットは当時最先端となる雪上車2台や馬を輸送用に使うという構成であった。

またアプローチ方法も異なり、アムンセンは全員が北極点を目指すのに対し、スコット隊は隊員を途中で戻す方法を取り、最終的には数名が北極点に到達する方法をとった。

未知の領域にベスト・プラクティスは通用しない

スコットもすでに南極を体験しており、それなりの知見をもっていたはずである。

彼の基本はデポと呼ばれる装備基地、ベースを配置し、そこから次のデポまで移動して、一部の隊員はベースまで戻すという戦略だった。そのために雪上車と馬(ポニー)をもってきたが、どちらも機能せず。最終的には隊員が重い荷物を運ぶことになる。

このインスタレーションは日報をもとにした位置と、隊員数、犬の数、馬の数を表示したもの。

アムンセン隊はそもそも隊員全員(4名)が南極点を目指すために隊員数は書かれておらず、犬の数41、そりの数4つとなっている。
一方スコット隊はこの時点(1911/11/18)で隊員数16名、犬23、馬10となっており、特に不足している様子はない。

しかし、アムンセン隊が南極点に到達した1911/12/15、スコット隊は犬と馬を完全に失い、隊員数12名のみで南極点を目指している。
スコット隊の犬は食糧不足のため、途中で送り返されたのだ。

アムンセンは手紙を残し、犬17匹とそり3つで無事にベースキャンプまで戻ることができた。

悲劇はスコット隊を襲う。1位になれなかったどころか、ベースキャンプに戻ることもできなかったのである。

この差は一体どこにあったのだろうか?

スコット隊の戦略は計画当初は間違っていなかった。しかし、フレキシビリティがなかったのである。

1)最新テクノロジー、雪上車の機能不全
2)馬と犬の喪失

この2点により、物資の運搬手段を失ってしまった。それにも関わらず、国の威信をかけ、軍人であるがために命を懸けて南極点を目指してしまったのである。結果は当初ベースへ戻った隊員を除き全滅。

アムンセンがスコットよりも優れていたのは、シンプルに犬とそりを多数を備えていたことである。
犬は共食い可能な犬種を使い、数多く備えることで犬の喪失があっても良いようバックアップしていた。シンプルが故に対応も簡単なのである。

アムンセンとノルウェー

南極点到達に成功したアムンセンはその後最新テクノロジーである航空機、飛行船や飛行艇での極地到達にチャレンジしていたが、
その後遭難者捜索のために出した飛行艇が遭難して行方不明、帰らぬ人となる。ノルウェー独立後まもないこともあり、いまも国の英雄として称えられている。

ノルウェー自身極地にもっとも近い国であり、北極と南極両方に領土をもつ唯一の国となっているのはこのアムンセンの活躍があるからだ。また北海油田開発もその功績の影響もある。

ノルウェーの産業は漁業とこのエネルギー産業であるが、産出した油はほぼすべて輸出にあてられており、自国のエネルギーは主に水力発電で賄われている。この外貨獲得と高い税率により国家の収支は潤っており、福祉や社会保障が充実しているという。しかしその油もいつまで高く売れるかどうかわからないということで、教育やITへの投資が盛んとなっているのが将来を見据えている。その背景にはノルウェー自身の独立は20世紀になってからであり、常に国家存亡の危機にさらされている危機感から来ていると思われる。

スタートアップと極地探検の共通性

もともと船、海事関係の博物館を全部見て回ろうというだけで訪れたフラム号博物館であったが、その内実はスタートアップ企業の運営にとても示唆があったように思う。
特に

・現場本場主義
・インテリよりも技術者、職人。ものを作れる、直せる人。少数精鋭
・資金調達と返済方法

という点ではまさしく共通する。特に(3)の資金調達についてはほとんど借金か債務であり、返す当てがあるのかないのか分からないギリギリのところで探検を成功させ、その知見を情報としてビジネスすることで返済しているが、失敗すれば探検中の死か、たとえ無事帰ったとしても借金返済がまっているという生き地獄か。普通の神経をしていたらとても挑戦することはできないであろう。

それでもアムンセンにしてもスコットにしても、まだ誰も到達しない、知らないところへ行く、そこには誰も経験者も先人もいない、知識や経験が体系化されていないという未知の世界に魅了されたのだ。

スタートアップの醍醐味は同じところにある。だれもやったことのない、新しい世界を作る。それをinnovationと呼び、make the world betterとなるのだ。

だからこれまでの方法論や教科書で教えてくれたことなんて役にたたない、計画したってすぐに変更しなきゃいけないし、新技術と共倒れになることもあるし、最後は自分ですべてやらなきゃいけない。それがスタートアップであり探検隊の本懐なのだと思う。