サマーキャンプへの投入

今夏、中二の息子を初めて海外のサマーキャンプに投入した。狙いはいくつかある。

まず一つ目は、英語への、いやEnglishへの慣れだ。小学5年生辺りから英語教育を多かれ少なかれ受けており、英語の成績もソコソコであるが、実際に英会話という点ではまだ未知数である。

日本の英語教育は文法中心で、読み書きをすることが目的であるが、これは明治時代の海外の論文を読み、書く日本特有の大学教育からのスケールダウンの影響にあると思う。

しかし今後必要となるのはそういった英語教育ではなく、コミュニケーション能力のひとつとしてのEnglishが求められる。日本経済の伸長が見込めない今、そしてインターネット情報社会による世界同時多発的マーケットの拡大により、世界共通言語としてのEnglishを身につけることは生き抜くための必要な能力だからだ。

それ故、サマーキャンプではあえて英語クラスではなく、スポーツプログラムを選んだ。元々STEAMクラスを希望したが残念ながら日程が合わなかったのも理由だが、それ以上に言葉はスポーツと親和性が高いというのをスノボのレッスンで自分なりに体験していたからだ。
要は体の動かし方、スポーツのルールは世界共通、意味分からなくてもなんとなくわかる。

そして次の狙いとしては他民族・多国籍の多様性(ダイバーシティ)を体感すること。これも英語クラスだと英語の出来不出来で差がつき孤立、分断しやすいが、スポーツだとグループを作り、嫌が応でもコミュニケーションをとること、そしてそれはシンプルで、あとはハートの問題となる。単なる言語スキルではない点が良いと考えたからだ。

シンガポールを選んだのはアジアの英語圏であること、比較的日本に近い、仕事の関係がありそうだったこと、一度行ったことはあるが街をよく見て回れなかったことから選んだ。CISにしたのはたまたまSTEAMのサマーキャンプで探して見つけたからであったが、結果的にCISのキャンパスが仕事の関係の地域にあり、さらに偶然にも直前にその場への出張が入るという奇跡的な巡り合わせとなった。

元々は息子と二人で現地に行く予定が、私が出張で先入りし、息子は一人で飛行機に乗ってチャンギ空港で現地集合というこれまたなかなかない機会となった。これもシンガポールを選んだから出来たことで、幸運であった。

さらに幸運は続く。

サマーキャンプに行く直前に息子が怖気づいた。行こうという気になってここまで来たんだから十分でしょ、と逃げ腰で、1日行ったらもう行かないと言い出した。

これは子供によくあるたわ言なので真に受ける必要はないが、聞いている時間は苦痛で腹立たしい。特に口達者なもんだからタチが悪い。
そこをなんとかノラリクラリとかわし、校舎まで連れて行ってポイ。無理やり投入してサヨナラである。1日で辞めるなら、先生に言ってねと言い残し。

さて、そうして入ったサマーキャンプだが、思惑通り終わったあとは特に文句もなく、友達もでき、ソコソコ英語でコミュニケーションも出来たらしく、次の日からは普通に行くことになった。それだけに直前のたわ言はやはり真に受けないことが肝要だ。日本から同伴だったらこのたわ言に1日以上付き合わされて、私がキレていたかもしれない。

初日は校舎の中まで、二日目は校門まで、三日目からは最寄り駅までしか送らず、帰りも初日二日目は校門で、三日目は最寄り駅、四日目からはホテルで待つことに。MRTとバスを使って行くことにすっかり慣れていた。

元々英語スキルの向上を目的としていなかったが、本人が英語でのコミュニケーションに何も抵抗なくなっていたのが収穫だった。元々英語の出来なかった私は、英語の出来不出来以前に、英語を使うというだけで緊張し、タダでさえ出来ない英語がさらに出来なくなっていたからだ。
これはエヴァ的に言えば精神障壁、ATフィールドのようなものだ。

精神障壁があるとコミュニケーションは難しい。語学力があったとしてもコミュニケーションが成立しないし、語学力がないとしたらなおさらである。

これは大人になればなるほど解くのが難しい呪縛になるため、この時期はタイミングとしてはギリギリかと思う。これより小さいと基礎英語力に不安があったが、来年では高校受験があり実現しないだろう。

本人曰く、インターナショナルスクールに来年から一年行っても余裕だよ、と行く前からは想像もつかない前向きなコメントがあり、親としては胸をなでおろしているところだ。

サマーキャンプ投入にあたり、多くの方からのアドバイス、経験談がとても為になった。改めて感謝したい。

2017/08/02 帰りの飛行機の中にて。 野間恒毅