小学一年生の東日本大震災


(写真撮影:2011年 3月末)

2011年 3月11日に起きた東日本大震災。電車通学の当時小学一年生の子供、当時は表現力がなかったので余り詳しくは聞いていなかったのですが、先日の件があったので、改めて聞きこみました。

⇒ 小学校の卒業式 - のまのしわざ

とはいえ、本人は余り怖い、孤独、悲しいといった感情的な印象はなく、鮮烈な記憶ではないようでした。

以下聞きこみメモ。

校庭解放なし、放課後すぐにバス乗って国分寺駅へ。

(14:46 地震発生)

バスに乗ってて駅まであと、20mくらいで、揺れは感じなかったけど、バスがとまって運転手から降りるように言われた(この時点では地震に気付いていない)。
バスを降りました。国分寺駅のすぐ近く、ほとんど横。
国分寺駅に向かった。地震とは気づかなかった。
駅では多くの人が掲示板みてた。ざわざわ。
いつもの通りに、帰ろうと思い改札に入った。
ホームに止まっていた電車にのった。
電車は止まっていて、全然動かない。
一時間くらい待っただろうか。

(16:00くらい)

長すぎて、電車を出て上にあがり、駅員に言って改札からでた。
駅外(国分寺駅こコンコース)にいた。これは何かあるなとようやく気づいた。
当時携帯電話ももってないので公衆電話へ。少し並んでた。
なんどもかけた。10回はかけただろうか。
しかし一向に出ない。
そこで駅の中をぶらついてた。

(17:00くらい)

女性(40代くらい)が話しかけてきたので、携帯電話で電話して貰った。
五回くらいで奇跡的につながった。
母に「無事です」と言った。すぐに電話が切れそうだったから、手短に。
「安全にして下さい」「ありがとう」と言って電話を切った。
しかしどうすれば良いかわからないから、その辺歩いてた。
(一時間くらいか)

(18:00くらい)

バス停へいったら、バスは動いてなかった。
つまらないから、学校へ帰ろうと思った。
(避難で公園へは行っていない。)

バスの通り道を暗記してたから、歩いて学校にもどった。
歩いて学校についた(大人の足で徒歩15分くらいの距離)

(20:00くらい)

地震をそもそも感じてないから感情的なものはなかった。
学校では、食堂に皆が集まっており、地震があったと言われた。
50人くらいはいただろうか。
親(保護者)に迎えにきてもらっており、続々と引き取られている。
(※ 電車通学の中で一番遠いのがうちの子)

最後はAくん(当時2年生)と二人が残った。
夜11時くらいまでずっと坊主めくりやってたので、これを機に仲良くなれた。
ようやく母が迎えにきたので、A君も乗せて、A君を送ってから、帰った。
夜遅くだったので疲れて寝てたけど、渋滞してた。

聞いてみて非常によくわかったのは、まさに我が息子だな、ということです。
まず感情的にならず、淡々としている点。非常事態に鈍感、パニックとは逆に冷静になり、むしろ「つまらないなあ」という感情の方が支配的になる点。

私も2歳9ヵ月で「つまらないなあ」という理由だけで一人で妹が生まれた病院から勝手に家に歩いてかえってしまった経験があり、行方不明、人さらい、神隠しと言われて親は心配したことがありましたが、そんな感じですね。

女性は感情が先行するので「こわかったでしょう、寂しかったでしょう、もう大丈夫だからね、安心してね」みたいな感じで言うわけですが、息子にしてみたら、「あ、ああ、うん、そうそう」と話しを合わせてただけでしょうね。半泣きになってたという伝聞でしたが、まあどこまで泣きそうだったのかも分かりません。

今回熊本地震が起きましたが、改めて震災が市民生活に与える影響を知らしめました。予測することはほぼ不可能、防災のために備蓄や災害時のシミュレーション、ケーススタディは大事です。

学校に保護されたら今度はバイクで迎えに行って、と言われましたが、もう中学生(以上)なんだから、一人で歩いて帰ってこれるでしょう。災害時の渋滞路なんて、よっぽど二輪は危ないです。