日本発祥のクルマ文化、ドリフト:乗り物文化を体感するドイツ旅行(9)

日本は貧しい国でした。特に戦後は国土は荒廃し、食べるものにも困ったほどです。しかしその中からホンダやソニーといった世界的企業が生まれ、経済成長とともに復興を成し遂げました。

経済復興の証として白物家電、TV、マイカーブームが生まれました。その中で国民車として大きな役割を果たしたのが軽自動車規格。小さいサイズで小さな排気量の軽自動車は、サラリーマンでも手の届く自家用車として、多くの人が買い求めました。実際うちの最初のクルマもスズキフロンテでしたし。

ちょうどそのスズキフロントを購入したころ、長野県御代田に住んでいました。長野といえば急峻な地形で有名、軽井沢から群馬よりには碓氷峠がありつづら折りのヘアピンコーナーが連続する難所です。この碓氷峠で腕をならしたドライバー、それがドリキンこと土屋圭市さん。

こちらは公道を勝手に封鎖(しかも封鎖しきれてない)、ドリフト走行をする暴走ビデオで、後に発売禁止、すでにレーシングドライバーとなっていた土屋圭市さんはサーキットライセンス剥奪の危機を迎えたほどですが、ドリフト走行の最初のブームを作ったことは間違いありません。

(※ もともと雪道やダートなど低μ路でドリフト走行はポピュラーでしたが、舗装路でハイグリップなタイヤを使っているのに無理やり横に向けるという行為は当時新鮮でした)

箱根をはじめ、ありとあらゆる峠道に埠頭でFR車、特にAE86が集まりタイヤを鳴らしながら横を向けるのが流行りました。すると当然騒音問題や事故がおきて社会的問題になるわけですが、その後ドリフトの舞台はイカ天(いかすドリフト天国)でサーキットに移します。

このころからドリフトが世界的にも注目されはじめます。あのTopgearのジェレミーも1990年台、日本のドリフト文化を見にきています。