八木アンテナとレーダー神話

日本軍がレーダー(電探)を軽視した結果、太平洋戦争に負けたという説がまかり通っています。

No.5257 八木アンテナ - コピペ運動会

1941年太平洋戦争が起き、シンガポールを攻め落とした日本軍は、そこのイギリス軍の レーダーアンテナが八木アンテナであると知らされました。 アメリカ軍も八木アンテナを装備し、攻め寄せる日本の飛行機を300km前から レーダーでキャッチし迎撃しました。闇夜でもレーダー射撃で正確に日本艦を撃沈し、 日本軍はやっとレーダーの威力とその重要性に気付きました。

戦中、電磁波を研究していた教授の話(講義)と食い違うのでどうにも腑に落ちなかった(戦艦大和のレーダー能力が低かった理由 ([の] のまのしわざ))のですが、ようやく他にも証言を見つけました。

レーダー(電波探信儀)

8.レーダーと艦砲射撃

海戦とか艦砲射撃とかについて述べるときに、世の中にはどうも一種の“レーダー神話” の様なものがある気がしております。 つまり、太平洋戦争当時でも米軍は優れたレーダーを持っていたから日本海軍に海戦で勝てたとか、だから優れた艦砲射撃能力を持っていた、と言う様なレーダー万能・全能的なことが、堂々とまかり通り、平気で活字にもなっていることです。

一言で“レーダー”と言っても、それには用途に応じたいくつもの種類があり、また太平洋戦争当時はやっと実用化され始めたばかりであり、その能力も信頼性も、そしてそれを使う人間側のノウハウも、現在のレベルから見るならば、相当によちよち歩きだったという実態を認識する必要があると思います。

例えば、SGレーダーなどの様な水上捜索用レーダーは“レーダー射撃”をするためのものではありませんし、またそのような性能・能力を持っていないことは既にご理解頂けたと思います。

それらのレーダー神話の内、次の4点については事実を強調しておきたいと思います。

(1) 今日の射撃用レーダーが有するような、目標の“自動追尾”の機能・能力 を持ったものは、今次大戦期間中には実用化されなかった。

(2) 射撃用レーダーと言われるものでも、そのデーターが 射撃指揮装置に“自動入力” され、それを元に射撃計算をするようなものは、終戦間際まで実用化されなかった。

(3) 今日の射撃用レーダーで得られるような、そのまま 直ちに射撃に使用できるような精度 を持ったものは、今次大戦期間中には実用化されなかった。

(4) 装置としての信頼性が極めて低く、かつ頻繁に調整・整合を必要としたが、それでもカタログどおりの能力・性能を発揮できることは極めて少なかった。

太平洋戦争当時、レーダーは各国が技術開発にしのぎを削っていたこと、そして研究発表は伏されたことや、日本にはインピーダンスマッチングの技術がまだなかったことから考えると、ただ単に技術的に遅れをとっていたというのが大きな原因であろうかと思います。

そしてこういった説に共通するのが、日本人による日本人批判。

No.5257 八木アンテナ - コピペ運動会

当時の政府要人や帝国陸海軍は、大和魂などの精神主義に陥っていたため先端科学を 理解できず惨禍を招いてしまったのでしょう。 そしてそれは、日本人の短絡性と同時に当時の社会の半封建的後進性を示しています。

インピーダンスマッチング(技術がなかったこと)を知らずに、短絡的に当時の日本を責めるのは、

No.5257 八木アンテナ - コピペ運動会

自国の優れた発明を使いこなせなかったことを棚に上げて八木秀次個人を責めるのは、 天につばをするようなものです。

自国の歴史を知らないことを棚にあげて、政府・旧日本軍を責めるのは(以下略)。

ただこういったことは旧日本軍批判に限らず、日本人の風潮として頻繁に見られる論理展開で、特に新聞やTVなどで見られます。そう考えると全部を含めて日本人の文化ということもでき、まさに愛すべき日本人の特徴といってもいいでしょう。

前述した教授は戦中、日本軍の命令により、電磁波を使って安物ウィスキーを高級ウィスキーに変える研究を行っていたそうです・・・いわゆる錬金術みたいなもんですね。

電子レンジと一緒で電磁波をいくらあてても、温まるだけでウィスキーが高級ウィスキーになるわけはないんですが、当時は真剣にやっていたそうです。つまりはそういうことですが、なんでウィスキーを美味しくしようとしていたかは、未だに謎です。