TV版ガンダム第一話が最高すぎる件

同僚にガンダムを見てもらおうとDVDを焼いて会社へ持ってきたところ、勢いあまって自分でTV版ガンダム第一話を見てしまいました。で、結論。

TV版ガンダム第一話が傑作にして最高

という事実を。

ガンダム第一話が最高すぎる件その一
「永井一郎による時代背景説明」

SFもの、ヒーローロボット物の定番である「知的生命体の地球侵略」に食傷気味だった小学生すらも納得させる「宇宙を舞台とした戦争物」であることの説明。しかも「スペースコロニー」という見たことも聞いたこともないハードSF設定に驚嘆。その巨大構造物が地球に落ちるというインパクト。さらにその戦争が始まってから半年が過ぎたというところで時間の流れを感じさせる。

たった数十秒のナレーションなのですが、すでにこれでヤラレテしまうわけです。いわゆる掴みなんですが、「え、一体何々?何がおきたの?」とハートは鷲掴みです。

ガンダム第一話が最高すぎる件その弐
「敵の視点からのシームレスな情景描写」

サブタイトルに続いてザクの登場です。しかもモノアイ。従来一つ目の怪獣(またはロボット)というのは無くはないですが、ザクのすごいのはそれがカメラだということ、そしてロボットという割りにはより戦闘服に近い形状をしていることです。そしてザクマシンガンという装備をしていることがロボットものとの決定的な違いでよりミリタリー色を強めています。無重力下における慣性の法則や、宇宙での影のつき方からここでもハードSFチックな雰囲気を前面に押し出しています。

一方主人公の登場はスペースコロニーに侵攻した2機のザクの搭乗員の望遠鏡からの流れです。民間人(フラウ・ボウ)を見つけ、フラウがアムロの部屋に入ったところから部屋内の視点に切り替わりついに主人公の登場です。この視点の自然なつながりがザクの侵攻という非日常とアムロたちの日常の生活感とのコントラストをつける秀逸な部分です。

ガンダム第一話が最高すぎる件その参
「ガンダムに搭乗する理由付け」

ヒーローロボットものでもっとも難しい理由付けが「いかにロボットに主人公が乗るか」です。従来は秘密組織の訓練をつんだパイロット、親族、実は宇宙人だったなど主人公が一般的ではないことが多かったわけです。たとえていうと自衛隊のF15パイロットのようなもので、そんじょそこらの人は乗れないわけです。

しかしコンピュータ(しかもハードウェア)オタク(1979年当時オタクという言葉はなかったが)という冴えないアムロ少年が偶然操縦マニュアルを拾うことでガンダムを操縦できる理由付けが為されました。一方ガンダムに乗って戦うという理由付けはその前の流れ弾にてフラウの両親を含む民間人が目の前で殺されるという事件をモチベーションにしたわけです。この2つによりアムロ少年がガンダムに搭乗してザクと戦うことを強力に理由付けしています。

ガンダム第一話が最高すぎる件その四
「今までのヒーロー物の常識を皮肉った」

一言でいえばリアル、裏を返すと従来のロボットものを皮肉った描写でしょう。例えば「弾切れ」。従来弾は無限に出てくるものだったのが、いとも簡単に弾切れします。次に「ザクの爆発」。ウルトラマンでもあれだけ大暴れすることで街の被害甚大だよねーどうすんのさーという疑問を持っていたのに対して、ザクの破壊は大爆発(後に設定によると核エンジンのため核爆発と同等との噂)でコロニー自体に穴があいてしまうリアリティ。

もうひとつガンダムを特徴付けたのがビームサーベルという武器。まんまスターウォーズのパクリの武器なのですが、ロボット物=飛び道具のオンパレードかパンチ&キック中心の格闘系だったのに対して、剣道=殺陣を持ち込んだ点。実際にはビームライフルやガンダムバズーカという飛び道具がその後は中心的役割を果たすのですが、第一話ではあえて封印することでガンダムがヒーローロボットではなく、モビルスーツという兵器であるということを印象づけることに成功しています。

ガンダム第一話が最高すぎる件その五
「強さの方程式」

ザクが攻撃を開始すると、ザクの圧倒的な力の前にコロニー内は戦火の渦に包まれます。いくつかの通常兵器はまったく効果がなく、モビルスーツが圧倒的だということを印象付けます。ところがガンダムが起動すると、今度は圧倒的優位だったザクのメイン装備、ザクマシンガンがガンダムに効かないことでザクのパイロットは動揺します。これにより

通常兵器<ザク<ガンダム

の図式が成り立ちます。ガンダムはまだパイロットが未習熟だったということもあり、容易にはガンダムが圧倒的ではないのですが、新兵器(新製品)なのでという理由付けで納得です。この強さの方程式は第二話で登場する「赤い彗星」により、製品=強さではないことを強力に訴えかけます。つまり

通常兵器<ザク<ガンダム=赤いザク

ザクはザクでも赤いし、通常の3倍のスピードだし、ルウム戦役(って何それ?)で一機で戦艦5隻を沈めたという伝説のエースであれば新製品と同等以上の戦力を発揮するというのがまた新鮮。

ガンダム第一話が最高すぎる件その六
「仮面の男は誰?」

主人公の宿命のライバルとなる仮面の男は正体が分からない上、なんだか「若さ故の過ちというものか」とかひとりごちっているわけです。気にならないわけがありません。そして第二話ではそれが物凄い敵のエースだということが判明するわけですが、第二話を見たくさせる要素をちりばめて第一話を終了するわけです。

以上から掴みはばっちり、ハードなSF設定、従来のヒーローロボットものと明らかな違い、そして次はどうなるんだという期待感の煽り。これ以上ない第一話のつくりです。私の場合、ダイターン3の最終回の後の次回予告で見るなりハートは鷲掴み。忘れずに第一話を本放送で見てその虜になってしまった口です。恐らく当時の熱狂ぶりから考えるに、同じように鷲掴みにされた人は大人から子供までいたようで、それが現在まで至るガンダムが受け入れられる素地になっているように思います。

その後何作もガンダムはありますが、このTV版ガンダム第一話を超えるガンダムは存在しません。これは不幸なことにガンダムの続編ということで期待感の閾値が高いことや、ガンダムの世界観、つまりガンダム世界はすでに周知(スペースコロニー、地球と月の間が舞台、モビルスーツが出てくること)になっているのでここまで説明する必要性が希薄なことが逆に製作しにくくしていると思われます。21世紀のガンダムであるSEEDシリーズにおいてはこれを逆手にとり、TV版ガンダムをパクることで以前からのファーストガンダムファンには「懐かしさ」を、そして新しいユーザーには「新鮮さ」を演出することに成功しました。しかし実際にはパクりですから、オリジナルではありません。

新しい世界観を作り、それを納得のいくように説明しながら視聴者を引き込むというのはなかなか簡単にはできません。視聴者の想像力を超えすぎると理解されないし、想像力を下回るとつまらないと評価されてしまうからです。想像力を適度に超え、少しの説明で理解できるくらいがちょうどいいのです。いわばアップルの新製品発表のようなもので、だいたいは想像の範囲だけどちょっとだけsupriseがあるというのが良いのです。

なおガンダムの素晴らしさについて、以下のサイトがよくまとまっています。

ガンダムの世界

今こそ吠えさせてもらう! ★アニメ『機動戦士ガンダム』はなぜ名作なのか? 【 ストーリー編 】

ということで、TV版ガンダムを見てください。